赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (67)
雷鳴は、放電現象が発生したときに生じる激しい音のことです。
雷が地面に落下したときの衝撃音ではなく、放電の際に放たれる熱量によって
雷周辺の空気が急速に膨張し音速を超えた時に発生をする衝撃波が
その音の正体です。
稲妻は光速で伝わるために、ほぼ瞬間に到達をします。
これに対し雷鳴は音速で伝わっていくために、音が伝わる時間の分だけ、
稲妻より遅れて到達します。
雷が発生をした場所が遠いほど、稲妻から雷鳴までの時間が長くなり、
到達までの時間を計れば、おおよその距離が把握できます。
「間違いないねぇ。確実に、近づいてきているようだ・・・・」
2人の作業員が逃げ込んだ三国の避難小屋では、さらに下山中の
登山客数名が、尾根の雷鳴に追われるようにして入口へ駆け込んできました。
『上の尾根で、横に走り抜けていく稲妻の様子を見ました。
あんな凄いのは、生まれて初めてです。
ガスの切れ間に、避難小屋が見えた時には、まさに地獄に仏の心境です。
ここまで無事にたどり着くことができて、とりあえず、ひと安心です』
と、ほっとした表情を見せ、いち様に安堵の胸をなでおろします。
「麓の気象台からは、なんと連絡がきている?」
作業員のひとりが、電話を終えた山荘の管理人へ声をかけます。
『あまり芳(かんば)しくはないようだ・・・』電話を置いたヒゲの管理人が
難しい顔で、居合わせた一同の顔をぐるりと見回していきます。
「気象が、めまぐるしく急変中だそうだ。
悪いことに、日本海上にまた新しい次の低気圧が発生をしたようだ。
こいつが発達をすると、今の低気圧に続いて追いかけるような形で、
こちらの方面へやってきそうだという見通しだ。
そうなると、天候の回復までは予定外に長引くことになりそうだ」
「天候は、悪くなる一方か。そうなると長い籠城の始まりだな。
食糧のほうはどうだ。備蓄量は大丈夫か?」
「さいわい、数日前に荷物を担ぎ上げたばかりだ。
大人数になっても、一週間やそこらなら底をつくことはないだろう。
ただ・・・・」
「ただ・・・?。何だ、その暗い顔は。
やっぱり、先ほど下っていったという例の女の子達のことが気になるのか?」
「うん。無事に下まで降りきってくれていると、いいんだがなぁ。
どうにも時間が微妙なような気がしてならない。
仮に立ち往生したとしても、どこかで、無事に避難を
してくれているといいんだがな。」
雷鳴がとどろく窓の外を見つめながら、
ヒゲの管理人が太いため息を漏らしています。
心配そうにヒゲの管理人が窓の外へ視線を走らせていた、ちょうどその頃。
全身を寝袋の中に潜り込ませ、青いビニールシートで仮の雨よけを作った恭子たちが、頭上で激しく炸裂を始めた雷鳴に耳を塞ぎながら、
急斜面の上で固く、お互いの身体を寄せ合っていました。
濃密に立ち込めるガスに、薄れていく気配はまったくありません。
一段と冷え込んできた空気が2人の指先に、冷たい水滴を
ヒタヒタと落としていきます。
時刻は昼の12時を過ぎたばかりだというのに、まるで夕闇が迫ってきた時の
ような暗さが、2人の頭上に覆いかぶさってきます。
「日暮れのような暗さになってきました・・・・
いったい、どうしたというのでしょう?」
「おそらく、大きく発達をした雷雲がやってきたか、
天候の急変をしめす暗雲が、私たちの頭上にやってきたせいだろう。
どうやら事態は、楽観を許さなくなってきましたね・・・・」
「楽観を許さない事態・・・・?」
恭子の顔の下で、清子が思わず身体を固くします。
あきらかに恐怖を示しはじめた清子の顔へ、恭子が胸元から取り出したハンカチをそっとあてがいます。
「怖くなんかないよ、清子。
ほら、お前の可愛い顔が、霧雨に濡れてだいなしだ。
女というものは、どんな時にだって、身だしなみを忘れちゃいけないよ。
正直言うけど、ピンチはまだ始まったばかりの状態だ。
この先がどうなるのかはわからないし、
私に何ができるのかもよくわからない。
でもね。とにかく慌てないで、じっくりと耐えて踏ん張ろうね。
きっとどこかに、助かるはずの道がちゃんとあります。
今の私たちにはまだ、その助かる道が見えていないだけのことです。
それを信じて、慎重に考えて行動をしょうね。清子」
恭子の不安そうな瞳が、暗くなってきた頭上の一点を見上げます。
濃密にガスが漂よったままの頭上からは、時間とともに
明るさが失われていきます。
秋の落日のような速さで周囲が暗くなる一方で、いままで遠くに
聞こえていた雷鳴が、早くも至近距離で、大きな物音を
たて始めました・・・・
(68)へ、つづく
作品名:赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (67) 作家名:落合順平