雨にならない
普段は日が昇り切ったころに目を覚ますが、今こうして起きている。正確には眠れずにいるのだ。部屋の中の空気が、のどに詰まって窒息しそうだった。いっその事死んでも構わない。でも、僕は自分を自分で殺せるほど強くはない。僕には他人を傷付けるとこしかできないのだ。
そうだ、一度外に出よう。外は涙雨だった。
いや待て、ちょっと待ってくれ――。ここで僕には二つの選択肢があるじゃないか。
傘――それは、降水から身を守る人類最大の発明。
カッパ――それは、前者より動きやすさを追求した必殺防具。
はて?どちらを携帯すべきか……。
迷った挙句、僕が使ったのは母からもらった傘だった。その傘は、僕の誕生日にもらったもので『スカイアンブレラ』と呼ばれている。一見、ただの紺の傘に見えるが、開いてみると裏側には綺麗な青空が描かれている。僕のお気に入りの傘だ。外に出てみると、空気は皮膚を突き刺すように冷たく、雨のせいかしっとりしていた。
当てもなく自分の道を探ってみる。至る所で、雨がコンクリートに妨げられて水溜りを作っていた。本当なら誰にも妨げられる事無く、地面の下に潜り込みたいだろうに。なんだか、自分を映している鏡のようだった。世界の壁に邪魔をされて、いつも決まって同じ場所に取り残される。どんなに頑張っても、その窪みから抜け出すことはできない。
――誰か僕の窪みを埋めてくれないか。足を動かすたびに体は重くなっていくばかりで、ただ辛かった。
近くのバス停に腰を下ろすと、どっと疲れが出てきた。誰かに支えてほしかった。安心していんだよと言ってほしかった。でもそんな弱い自分が情けなくて、悔しくて、泣けないまま、空を見上げた。
傘にプリントされた大空は、どこまでも綺麗に澄んでいて、大きな手で僕を、受け入れようとしている様に見えた。たとえ世界が僕を飲み込もうとしても、ここだけは晴れ渡っていて、必ず僕を守ってくれる。そう思うと心が落ち着いた。
ようやく戻ってこられた。勇気を出し、ズボンのポケットに手を入れる。中には小銭入れがあった。そして、再び歩き出した。
辿り着いた場所は近くの公園。やけに暗く感じるそこで、異様にはっきりと、電話ボックスが目に入る。いったん立ち止まり小銭入れの中を確認した。中には汚れた小銭が沢山入っていた。そして、僕はその電話ボックスの中に入った。
受話器を取って小銭を入れ、ボタンを押す。すぐに呼び出し音が掛り、聴き慣れた声が聞こえた。
「――もしもし?」
彼女の声を聴くとやはり、胸が締め付けられ声が震えた。
「……カイトが死にました」
「……え?」
受話器の向こうにいるのは、僕の旧人で形上は長馴染みと言っていい女の子。そんな彼女に、昨夜僕が起こした罪を謝罪すべく、今こうしてボックスの中にいるのだ。
「……ごめん。助けられなかった。僕が殺したんだ」
「え……え、殺した?」
彼女は戸惑うばかり。それもそうだ。こんな話はあまりにも残酷すぎる。
「昨日の昼休みに、君の犬が逃げちゃったって聞いたから……」
今思えば、やめておけば良かったんだ。まさかあんな目に遭うなんて。
「僕、探したんだ。君の犬、カイトを」
とても重い言葉が口から出ている。一度紡ぎ出したら、後戻りできそうにない。続いて何かを抑え込んだ彼女の声が、僕の耳の中を襲った。
それはナミダか。
「それで死んだってどういうこと」
「カイトを僕は見つけたんだ。道の真ん中で優しく笑って、お座りをしていたよ。その時、僕は歩道橋の上にいたんだよ。だから見えた。道路の向こうから、大きなトラックがカイトに近づいて来るのを見た」
あの時、目でそれを捉えた瞬間に走り出した。カイトを助けるために。力を出し尽くしたのだ。
「でも、及ばなかった。トラックのスピードに、デカさに、怖気づいて最後の一歩が踏み出せなかった。道路に飛び出せなかった」
「……」
「だから、もういないんだよ。カイトは。僕が、僕が殺したんだ。ごめん。本当にごめん。本当に。ホン…ト…うに……」
情けなくて、悔しくて、遂に堪えていた感情に粒が僕の頬を流れた。
「……ふっふふ。ははは。あーおかしい」
どうして笑うんだ。君の犬は死んだのに。僕が殺したのに。何も変なことは言っていないのに。
「その犬、カイトじゃないよ、もぉー。だって見つかったもん。庭で日向ぼっこしてたのよ」
「はへ?」
この時間は何だったのだろう?