赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (64)
稜線の登山道で作業をしていた先ほどの2人も、突然の天候の
異変に気づきます。
急激に温度が下がってきた次の瞬間にはもう、もうもうとしたガスの塊りが
谷底から一気に斜面を押し上がってきます。
またたくまに周囲の視界を奪ったガスが稜線上で、
東と西の風に巻き上げられて一気に上空を白く染めていきます。
日本海からの湿った風と、内陸の谷間から吹き上げる冷たい風が、細い稜線の
登山道の上で、予測不能の突風を生み出します。
『天候の急変だ。突然の荒れ模様がやってきた。突風が吹き始めると
稜線上は厄介になる。
とりあえず作業を中断して、早めに避難小屋へ退避しておこう』
相方を促した作業員が、
ヘルメットを両手で押さえながら稜線の道を進みます。
『おい。遠くで雷まで鳴り始めてきたようだ。このままだとけっこうな
嵐になるかもしれん。
毎度のことながら温度が急変をする初夏の今頃が、
一番厄介な気象を産み出すなぁ。
荒れた天気に豹変しなければいいがなぁ・・・』
同僚も稜線上の突風に身を抗いながら、山小屋を目指して小走りになります。
稜線上の登山道から小さな尾根を一つ越えた避難小屋までは、
わずかに300m。
しかし突風が吹き荒れ始めた尾根の道は、常に極度の危険がつきまといます。
幅1mに満たない痩せ尾根の道は、ちょっとバランスを崩した途端に
足を滑らせ、急な斜面を滑落して行ってしまいそうな不安に襲われます。
態勢を極度に低くしながら、ようやくの思いで山荘に作業員の2人が
たどり着くと、すぐにヒゲの管理人が
心配そうな顔で姿を見せます。
「途中で2人連れの女の子達に行き合わなかったかい?
あんたたちより少し前に下って行ったんだが、無事に下の樹林帯まで
降りていったかどうか、時間的に微妙なんだが・・・・」
「おう。行き会ったぞ。
30分くらい前のことかなぁ。ヒメサユリ街道の下草刈りをしていた時だ。
そのまま語らいの丘を経由して下ると言っていたから、
道草をくっていなけりゃ、そろそろ樹林帯へ着いてもいい頃の時間だろう。
問題は、どのあたりでガスと遭遇したかだな」
「北の方から、雷が接近してきたからなぁ。
麓に問い合せたら、急激に発達をした低気圧が進路を変えて
南へ進み始めたそうだ。
このまんまだと、この小屋も低気圧の直撃を喰らうことになる。
ちょうどよかった、顔なじみのお前さんたちも手伝ってくれ。
窓やら屋根やらの危なそうなところを、今のうちに補強しておきたい。
猫の手も借りたいほど、忙しいところだった。
よかった、助かったよ。ちょうどお前さんたちが来てくれて」
「やっぱり、荒れる天気の前触れか。
おう。このままでは俺たちも身動きすることができねぇ。
いいだろう、手伝うぜ。
何でもいいから言ってくれ。とりあえず何から片付ける?」
「雨が降りはじめる前に、外周りから先に片付けちまおう。
ガラスの破損防止と、飛ばされるまえに
ものをできる限り中へ運び込んでくれ。
あとは長期戦に備えて、水場からの水の確保も先に片付けておきたい。
本格的な嵐になったら、数日かかる可能性もある」
「やっぱりな。擬似好天だったのかなぁ。
悪天候が終わって回復したとばかり思っていたが、
天気図を読み損なったかな。
本格的な夏登山が始まる前に、登山道を整備しておこうなんて、
甘く考えたのが裏目に出たかな。
擬似天候は、冬の日本海側に見られる現象だからと、油断したせいだな。
麓の気象台は、どんな見通しを連絡してきたんだ」
擬似好天とは、悪天候と悪天候の間に短時間だけ
良い天候になることを指しています。
あたかも悪天候が終わり、すっかり好天になったかのように錯覚させるので
この名前がつけられています。
冬の日本海側に見られる気象の現象で、大陸から流れてくる低気圧が日本海上で気流の乱れを起こし、2つ以上の低気圧が同時に発生し、
上陸した時などに起こる現象です。
低気圧と低気圧の間に入った短い時間だけ、一時的な好天が見られますが
長くは、続かずすぐにまた荒れた天候がやってきます。
また急激な温度の変化が、予想外に低気圧を発達させて思いがけなく
暖かい時期や夏のはじめにも、発生する場合があります。
擬似好天は魔の気象とも言われ、山のベテランでも騙されて命を
落としてしまうことがあり、もっとも注意を要すると言われています。
(65)へつづく
(1)は、こちらからどうぞ
http://novelist.jp/61553_p1.htm
作品名:赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (64) 作家名:落合順平