ジャッカル21
ズヴェルコフは、外務省に入省してすぐの研修で、彼のことを教えられた。ロシア人よりもロシア通だったという言い伝えさえある。若い頃のズヴェルコフは、自分も日本に行って日本人よりも日本通になりたいと思ったものだった。しかし、理想は急速に失われていった。日本には何度も行ったが、つらく悲しい経験ばかりだった。日本人の女性は、太って毛むくじゃらの、奇妙奇天烈な日本語をしゃべる大男を、悲鳴や嘲笑を伴って避けた。避けるのは女性ばかりではなかった。彼は屈辱を味わった。プライドはとっくの昔に捨てた。ガリ勉のおかげで今の地位を得たが、ユーモアもエスプリもない無骨者なので疎まれた。とても宮川のようにはなれなかった。当然通訳の声もかからなかった。ところが日本の外務省から声がかかってきた。ズヴェルコフはある事情からやむをえずその申し出を呑んだ。彼は今日本の外務省の海外特別協力者、すなわちスパイである。
公園に憩う人たちのざわめきや歓声が、部屋の背後を走る二階建環状高速道の車と電車の音に混じって聞こえてくる。酔って帰ってきた時など、ズヴェルコフはベランダから大声で、うるせえぞ、と怒鳴る。三階から見下ろす道路は狭くて汚くてでこぼこで、あたりの建物はズヴェルコフの住むアパートと似たりよったりの薄汚さを呈している。どなっても何も変わりはしない。自分のすさんだ生活を確認するだけだ。こちらの声が限界を超えるときもある。そんなときには、うるせえぞ、デブ、と怒鳴り声が返ってくる。向こうがこちらは誰だか判っているように、こちらも向こうが誰かは判る。
今は小窓も引き戸も閉め切ってある。昼過ぎには二十七度となり、今年一番の暑さだった。外はまだ夕焼け雲がたなびいて、さほど気温が下がってはいないはずだった。締め切った部屋の内部も二十七度をそれほど下回ってはいないだろう。或いは、興奮したズヴェルコフがそう感じているだけかもしれなかった。
(……名前は不明。九十五年前後に退役した元ロシア陸軍の軍人か。もちろん軍隊内の位階も不明。九十九年ごろから現在までに、いくつかの暗殺事件に関与してきた疑いがある。依頼主はロシアとは限らない。アフガニスタン北部同盟のマスード将軍、PFLPのムスタファ議長の暗殺に深く関わったと思われる……)