赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (62)
「語らいの丘」から、
ようやく華やかなヒメサユリの花街道らしさが始まります。
茎の上に、無事に残った蕾の数が多くなります。
急な斜面に近づくに連れて、満開状態のヒメサユリが増えてきます。
語らいの丘を通過するあたりから、所々に、たっぷりとした群生も
見えてきます。
歩くに連れて、ハクサンチドリやシラネアオイ、ムラサキヤシオツツジ、
ツマトリソウ、サラサドウダンツツジなどの、とりどりの花も
混じってきます。
「お姉ちゃん。足元に薄紫色のオダマキが咲いているのを見つけました!。
蝶ちょのようで、とても可憐な花ですねぇ」
「オダマキが咲いている?。変だねぇ・・・・。
あっ、よく似ているけどこれは、ハクサントリカブトという猛毒の花だ。
お前。手なんか触れるんじゃないよ。
簡単に人を殺すほどの猛毒を持っているんだからね、この花は」
「え。猛毒の花なのですか・・・・うわ~、危機一髪だ。
よかったねぇ、たま。可愛さにつられて思わず頬ずりなんかしなくって」
『ふん。俺は、そんなチンケな花にはまったく興味がないねぇ。
そんなことよりも、周りを見てみろよ、清子。
ここから見渡す景色は、まさに飯豊山の絶景そのものじゃねえか」
たまに促されて目を上げた清子が、目の前の景色に
思わず息を飲みこみます。
足元まで一気に落ち込んでいく深い谷とは対照的に、懐に
いくつもの雪渓を抱いた青い山肌が、清子の真正面にドンと裾を
広げています。
その背後に、北に向かってどこまでも連なっていく
飯豊連山の薄紫色の稜線を、一望に見晴らすことができます。
少し火照っている2人の頬を、谷底からの風が吹き抜けていきます。
「飯豊連峰の全部の景色を、ここから独り占めすることができます。
斜面には、見渡す限りに、薄いピンクのヒメサユリの花が群生するし、
黄色いニッコウキスゲの花も、負けずとばかりに咲きほこります。
これが清子に見せてあげたかった、飯豊山の絶景だよ。
すごいだろう、ここは。
ここにこうして腰を下ろしていると、時間が経つのを忘れます」
「ホントです。
だからつけられた名前が、語らいの丘ですか!。
う~ん。まさにドンピタリといえるネーミングです。納得します」
「ほら、清子。
向こう側の山肌にも、登山道が有るだろう。
リュックを背負った登山者が、アリのようにせっせと
歩いているのが点々と見える。
この山は登山道だけではなく、ああして散策のための小道も
整備されているの。
みんな、天空のお花畑を満喫をするために、
山小屋や避難小屋に連泊しながら、
あんなふうに、思い思いの山へ足を伸ばしていくんだよ。
それが飯豊山という山の、楽しみ方なのさ」
頭上は相変わらず、朝からサンサンと晴れ渡っています。
しかし谷から吹き上げてくる風に、いつしか肌寒ささえ覚えはじめた頃、
たまがまた、ふと顔を洗い始めます。
『おや、お前。また、顔を洗い始めましたねぇ。
こんなに良いお天気だというのに。
雨が降る気配なんて、これっぽっちも見えません。
何がそんなに心配なの、お前は』
しきりと顔を洗っているたまの様子を、清子が怪訝な顔で覗き込みます。
「谷底から、少しガスが湧いてきたねぇ・・・・」
恭子が、切り立った足元の谷を指差します。
谷底から湧きだしたガスが、煙突から出る煙のように
ゆるやかに流れはじめます。
正面の山肌に点在する雪渓群を、ゆるゆると漂いながら覆い隠していきます。
時刻は正午前ということもあり、空に雨雲が出て来たわけではありません。
天候の変わりやすい深山とは言え、語らいの丘周辺の谷間は、
特に切り立った崖が多いために、従来からガスが
湧き出しやすい地点とされています。
谷そのものが深すぎるため
谷底と上空のあいだに極端な温度差が発生します。
そうした気象を原因に、時として午前中の早い時間から濃密なガスが
谷の底から発生することも、決して珍しい現象ではありません。
午後から稜線などで発生してくるガスなどとは異なり、そのうちに
晴れてくるだろうと、恭子も悠然と腰を下ろしたまま
谷間を漂っていくガスの流れを見つめています。
谷底からの上昇を続けるガスは、風に乗り、やがて2人がいる
語らいの丘の高みまで登ってきます。
あっというまに2人の周囲へたちこめてきたガスは、経過する時間とともに
みるみる濃密な状態へと変わっていきます。
「お姉ちゃん。ミルクを流したようなガスの襲来です!。
油断していたら、周りが真っ白で、
全く何も見えなくなってしまいました」
「慌てて動くんじゃないよ、清子。
斜面の先は、急激に落ち込んでいる断崖絶壁だからね。
足を滑らせたりしたら、それこそ大変だ。
一時的なガスだと思うから、動かずにこのままやり過ごそう。
下手に動くと、かえって危険なことになるからね。
あたしはここに居るよ、ほら、手を伸ばして、清子も。」
恭子の手が、濃密なガスの向こう側から清子の
指先を探して伸びてきます。
慌ててその手を握り返した清子の胸元では、先程から、
たまが顔を洗っています。
猛烈な勢いを維持したまま頭やら耳の後ろなどを、必死の形相で
たまが、洗い続けています。
(63)へつづく
作品名:赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (62) 作家名:落合順平