白いチューリップ
ーー
空を見上げた。上空から、地上を浄化するように水が降ってくる。サァと言う静音。
少しその様子を眺めたのち、俺は正面に向き直るとビニールのフードを引っ張り、走り出した。靴がぐちゃぐちゃと音をたてる。
よく整備された道に出来た水溜り、踏み込むとバシャリと跳ねた。
ぐしょぬれになりながら、着いた目的地、とあるマンション。
玄関傍のインターホン、を押す。
寂れた電子音が聞こえた。
ガチャりと金属が擦れる音、ドアが開く。
「仁……」ヤツれた女。女は、ぱらりと垂れた前髪をそっと耳にかける。
「よう」俺は軽く手をあげ、中を指差す。
「上がっていいか?」
「……」
女は顔を覆う。そして肩を震わせた。「なんで普通に振る舞えるの?どうして、ねえ、何で……」
俺は無視して、上に羽織った雨具を畳む。そして向き直る。「中入っていいか?」
「……」
「勝手にすれば」ドアが閉まる。
俺はドアを開け玄関で靴を脱ぎ、素足となる。ひたひたと木製の床を歩くと、足跡が付いた。
居間。ベージュの皮のソファーに膝を抱え丸くなっている女、肩の震え。鼻水を啜る音。
「じ、仁に、今の私の気持ちなんかわかんない……」
俺はソファー脇に腰掛ける。
「そうだな」一言、溜息と共に吐き出す。
うえーん。子供のような泣き声を女が上げる。「もう、なにしに来たの!帰って!帰ってよぉ!」
「……」
俺は会話に間をおき、すっと呟く。
「佐伯……佐伯武」
ビクリ。
女の肩がびくりと大げさに動き。さらに、ガタガタと震えた。
言葉に抑圧はない。 そして俺の感情にも。
「今日、殺したよ」
「え……?」声を上げ、女は立ち上がった。「武……を? え……」
「それだけ伝えたかった……」
「なんで、そんなの仁、捕まっちゃう……、ダメだよ」
「もう終わった」
「ダメだよ。なんで?」
俺は立ち上がる。
「仁……」
「どこに……どこに行くの」背後から、俺のシャツが掴まれる。
俺は振り返り、そっと唇を合わせる。
女は大きく目を見開き、そしてゆっくりと脱力をし。甘く「ん…」と声を上げた。自然と唇が離れ、
そして見つめ合うと、ゆっくりソファーにお互いの体を預けた。
「仁……」
濡れた瞳。
「さよなら」
俺だけ立ち上がる。
「あっ」
【俺が殺した佐伯武は単なるチンピラではない。必ず報復があるだろう。
身勝手にキスをしてしまったが、俺はこれから自らヤクザな報復を受けに行く、それで終わり】
俺は、玄関に向かう。
「大人になってから、初めてだね、キスしたの、ちょっと嬉しかった……かな?」ふふふ、と笑う。「こんなに汚された私だけれど、照れたわ」震えた声。
カチっと言うライターの電子音。不器用に煙を吐き出す息の音。
「さよなら、仁」背中に投げかけられる言葉。
バタン、とドアが閉まると、子供のような大きな泣き声。うわぁと言う。
感情が高まると、大人も子供も変わりはないね。
俺は、少し振り返り、「今日までありがとう」と呟いた。
言葉は、鉄製のドアに阻まれる。
サァと言う音は続いている。今日はやまない。
「はぁ」
深く潜る前の深呼吸だ。
死に向かい1歩、外に踏み出した、雨具は使わない。濡れたい気分だから。
ーー
好きだった、ずっと好きだった』