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京都七景【第七章】

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【第六章 墓を探す(3)】

 道は崖の斜面に作ったもので、かなりの傾斜をつづら折に進んでいくから、方向を変えるとき、どうしても立ち止まって「ふうっ」とため息をつかずにはいられない。坂の中段に差しかかったとき、ため息のついでに、

「なんだか、大店のお嬢さんについてきた下男みたいな感じだな」と、つい口をすべらせてしまった。あわてて口を押さえたが、もはや手遅れだった。

「あら、イメージが貧困ねえ。ご先祖のお墓に許婚を案内する、さる大身の若様って想像はできないものかしら?」

「えっ?」ぼくは、またどきりとして、うろたえた。今の彼女の言葉にそこはかとない真意が見え隠れしてはいないだろうか。よし、ここが思案のしどころである。ぼくは思い切って質問をした。

「そうしてもらっても・・・いいんですか?」
「もちろんよ」
「ほんとうに?」
「ええ。だってイメージの世界は豊かでなくちゃね。現実のルールや条件にしばられていたら、ぜんぜん面白くないでしょう?」
「そりゃ、ぜんぜん面白くないです。でも、ぼくは現実の世界も豊かであってほしいと思うな」
「もちろん、わたしもそう思うわ。でも、現実はなかなかうまくいかないものよ、今日のわたしの足みたいにね」
「なら、いっそのこと、あなたの持っているイメージにわれわれを合わせて、空想と現実の間(あわい)を漂ってみるのも悪くはなさそうだと思いませんか?つまり、ぼくが若様、あなたが許婚のつもりで、この先を過ごしたら、現実の世界を豊かに出来るんじゃないかな」
「うーん、なかなかすてきな提案ね。実は、わたし、そういうお芝居みたいなのって大好き。ちょっとやってみましょうか。でも、条件がありますけど」
「というと?」
「せっかく龍馬様のお墓に来ていることだし」
「龍馬さま?」
「ええ、龍馬さま。だって、尊敬していますから。それで、あの、条件ですけど」
「ああ、どうぞ、どうぞ。おうかがいします」
「畏れ多くて龍馬さまとお龍(りょう)さんとまでは行かないけれど、勤王の志士とそれを助ける祇園の舞妓って組み合わせはどうかしら」
「舞妓ですか?」
「あら、わたしだと年齢が合わないって言うんでしょう? なら、芸者でもいいわよ」
「それなら、やはり、芸者の方が芯の強さがあって、危難の志士を救うにはふさわしいかな。それにきれいでしょうね、あなたの芸者姿」
「まあ、それってほめてもらったことになるのかしら。こんなことを言って、気を悪くしないでくださいね。わたし、美しさで評価してもらうのはとってもうれしいんだけど、自分のしたことで評価されるほうが、もっとうれしいな。もちろん、たいしてきれいじゃないのはわかっていますけど」

 ぼくは、うっかり下世話なことを言ったと後悔したね。それで、ここは挽回しておかなくちゃと思った。

「とてもきれいだと思いますけど」

 彼女は確かにきれいな人だった。問いかけるような黒く深い瞳、筋の通った鼻、きりっと引き締まった形のよい口。どことなく姿全体に高貴な雰囲気が漂っている。

「でもきっと、美しさを評価されても、うれしくないんでしょう?だって、ある意味、美しさは偶然に得られたもので、自分の力で得たものじゃないんだから。きれいだと言われると、自分は正しく評価されていないと思って、返っていらいらしてしまうんですね?」
「ええ、たぶん、その通り。龍馬様だって、そりゃ、最初はお龍さんの美しさに魅かれたかもしれないわ。でもね、寺田屋事件のとき、お龍さんの気転と度胸で命を拾って、初めてお龍さんの真価に気がついたんじゃないかしら」
「というと?」
「寺田屋事件のこと知りません?」
「龍馬が幕府の捕り方から危うく逃れたことは知っていますけど、お龍さんのことは、まったく」
「慶応二年、正月二十三日の八つ時というから、深夜の二時頃のことね、龍馬様のいる寺田屋を捕り方が囲んだの。もちろん龍馬様は何も知らずに二階で警護のものと話し込んでいたわ。そのときお龍さんはお風呂に入っていたの。お風呂場の窓に捕り方の槍の穂先が突き出される。すわや、と、お龍さんは素肌に袷をひっかけただけで、龍馬様のところに駆け上がって急を告げ、そのままそこに居残って、幕吏の来るのを待ったそうよ。なんて気丈な人なんでしょう。こんな時、もはや美しさなど問題にならないことは火を見るより明らかでしょう?」
「うーん、ぼくは、男だから別の解釈にかたむくなあ。でも、それと似た話は知ってます。たしか、安政の頃の江戸でのこと、さる勤王家の医師が、苦境にある公家を助けようと資金を調達した。ある夜、その資金を受け取りに来たと、武士が三人、その医師宅をおとなった。三人がその金を横領しようとしていることはその言動から明々白々である。医師は渡すのを断った。われらの言を信ぜぬとは無礼であろうと、三人は刀のつかに手をかけ、医師を囲んで立ち上がる。さあ、そのとき早く、かのとき遅く、廊下の障子がすっと開いて、医師の妻が腰巻一つに、口に懐剣をくわえた異様な姿で現れた。妻は名を「いお」といった。すいませんね、妻の名だけ覚えてて。その「いお」が、両脇の床に置いてあった上がり湯の桶を立ち上がりざま手に取って二人の武士に投げつけるが早いか、懐剣の鞘を払い、「泥棒!」と一声大きく叫んだ。三人の武士はその迫力に気おされ一目散に逃げ失せたそうです。」
「まあ、それって、鴎外の『渋江抽斎』の一節じゃありません?よくご存知ね」
「仏文だから、知らないと思ったでしょう」
「ええ、まあ。だって、仏文と『渋江抽斎』の間にいったいどんな関係があるのか俄かには思いつきませんもの」
「関係がないと『渋江抽斎』を読んではいけませんか」
「いけなくはありませんけど、唐突だわ。だってよりによって鴎外の中でも専門家くらいしか読まない『渋江抽斎』でしょう。それを仏文の人が好んで読むとは思えないな。もちろん、大の鴎外ファンなら別よ。もしや君、大の鴎外ファンだったりして?」
「いえ、それほどには」
「でしょう。なら、理由が必要ね」
「理由がないといけませんか」
「ごめんなさいね。わたし研究職を目指しているものだから、何でも因果関係をはっきりさせないことにはどうにも気が落ち着かなくなるの。いけないとは思うんだけど、日常の茶飯事でも、どうしても聞きたくなるの。わたしを助けると思って理由を聞かせていただけないかしら。どんな些細な理由でもいいのよ、私の心の平穏のために、お願い!」
「わかりました。そこまで言うなら、お教えしましょう。実は、鴎外の最高傑作が『渋江抽斎』だとは前から聞いて知っていました。それに、人によって評価が全く分かれているということも。それなのに、最高傑作と呼ぶのはちょっと変でしょう。それで読みたくなったんです。読み始めたら、妙なことに気づきました。ここが仏文と関係のあるところです。話は、江戸時代末期の津軽藩の御殿医のことなのにフランス語が頻出するんですよ。どうしてもフランス語で書く必要があるならそれも頷けます、でも日本語で書いたってべつに変らないことがフランス語で書かれている。実は話の中身よりそっちの方に興味が湧いてとうとう最後までフランス語の数を数えてしまいました。」
作品名:京都七景【第七章】 作家名:折口学