更新日時:2010-04-28 12:44:48
投稿日時:2010-04-05 16:09:04
流砂
著者の作品紹介
「流砂」はある近親サイトに「流されて(投稿者 真理子)」として告白文形式に投稿した創作文を小説風に書き直したものだ。当初、主人公の息子は「彬」として描いている。「朋和」に改めた。
大筋において同じあらすじにしてあるが、表現や季節など一部変更した。投稿サイトが荒れた事もあって中断したところから書き足している。
この種の小説は初めて書いたものだが、文章の稚拙さや、性表現の未熟さは読者の寛容と忍耐に期待したいところである。
私の表出したかった日本女性の性が消極性の中に潜む積極性を、または受動的な中の能動性を行動の中で徐々に実現していく姿だった。日本女性は、もともと性自体口にする事をふしだらとしてきた一面がある。だが、それでは命が繋がってはいかない。淑女の顔をしている女性も性欲のない木偶の坊のはずはない。その性欲をやたら表に出していてはただの色きちがいになってしまう。その奥ゆかしさと性に開放されていく艶めかしさとのギャップを、そして性を通して男に傾いていく女の性(さが)をテーマにしたかった。性に対するタブーはどの社会にもいろいろなケースで存在するが、近親に対するタブーはことさらだ。この真理子と朋和のケースは常識的に有るのか統計的な研究を待つしかないが、なかなか現れてくる数字とは思えないので闇に近いだろう。
この性描写で不快に思われた読者諸兄には深く陳謝するものである。
大筋において同じあらすじにしてあるが、表現や季節など一部変更した。投稿サイトが荒れた事もあって中断したところから書き足している。
この種の小説は初めて書いたものだが、文章の稚拙さや、性表現の未熟さは読者の寛容と忍耐に期待したいところである。
私の表出したかった日本女性の性が消極性の中に潜む積極性を、または受動的な中の能動性を行動の中で徐々に実現していく姿だった。日本女性は、もともと性自体口にする事をふしだらとしてきた一面がある。だが、それでは命が繋がってはいかない。淑女の顔をしている女性も性欲のない木偶の坊のはずはない。その性欲をやたら表に出していてはただの色きちがいになってしまう。その奥ゆかしさと性に開放されていく艶めかしさとのギャップを、そして性を通して男に傾いていく女の性(さが)をテーマにしたかった。性に対するタブーはどの社会にもいろいろなケースで存在するが、近親に対するタブーはことさらだ。この真理子と朋和のケースは常識的に有るのか統計的な研究を待つしかないが、なかなか現れてくる数字とは思えないので闇に近いだろう。
この性描写で不快に思われた読者諸兄には深く陳謝するものである。