黒猫スリーデイズ
一部の人はこの迷信を、今も信じ続けています。私の友人もその一人です。
ある日の事です。
私がいつもと同じように、家から駅まで十五分自転車をこぎ、三十分電車に揺られ、着いた駅から五分歩いて登校した日の事。
高校に到着して教室に入るなり、友人が私に泣きついてきました。
登校中に黒猫を見てしまったとのことです。
「どうしよう! あたし不幸になっちゃう!」
友人は、それはもう、この世の終わりのように震えながら目をうるませています。
私は無責任に「そんなの偶然だよ!」「ダイジョーブダイジョーブ!」とは言えない性格です。なので、黒猫が不幸の象徴になった所以や、その逆に「からすねこ」と呼ばれ幸福の象徴ともなっている事例を紹介しました。そんなもの、本人の受け取り方次第。暗にそう伝えたつもりです。
友人は戸惑った顔で、ありがとう、とは言ってくれましたが、それはとても弱弱しいものでした。
お昼休みの事です。友人に、一緒に食べよ、と誘われたので、窓際にある私の席で、机をくっつけて一緒にお弁当を食べることになりました。
お弁当をあらかた食べ終えた頃、本を開こうとした私に友人が「あのね……」と言いかけて口を止めてしまったので、不思議に思い友人の顔を見ました。視線が外にそそがれていたので追ってみると、学校のグラウンドを黒い何かが走っていく様子を見る事ができました。その黒い何かは、弓道場の藪の中に入り込んでいきました。小柄でつややかな毛並み、体を揺らさずにゆったり素早く走る姿、黒猫に違いありません。
友人は顔を青くして、持っていた箸を机の上に置きました。そして最後にとっておいた大好物の鶏の唐揚げを、私にくれました。
私は今度は、学校周辺の野良猫生息数とその黒猫の割合について論じ、さきほどの事象、つまり黒ネコが学校の校庭をよこぎる現象がそんなに珍しいものではない事を説明しました(真昼に堂々と校庭を横切る可能性についてはわざと話しませんでしたが)。
猫の中でも人懐っこいことが多い黒猫は、どこかしらの家の人に気に入られ半野良となって生き延びている事が多い。あるいはペットとして近所の幼子と散歩に来たのかも知れない。はたまた、悪がきに追われてやぶれかぶれで逃げて来たのかも知れない。そんな黒猫が不幸の運び手であるわけがない。そも、黒猫が不幸の運び手であるなら、例の運送業者はどうなってしまうのか。
私は言葉を尽くして友人を励まそうとしましたが、笑顔が戻る気配はありませんでした。最後には己の信念を曲げて「私も見たから一緒に不幸になっちゃうね!」と同族意識に訴えかけようとしましたが、友人だけが不幸な目にあったらフォローできる自身が無いので止めておきました。
帰りのホームルームが終わる頃、私は友人と一緒に下校する事に決めました。朝からずっと落ち込んでいる彼女を一人にするには大きな不安があったのです。しかし彼女と一緒に通る道は。駅までの五分間しかありませんでした。
私は友人に言いました。
「明日は一緒に遊ぼう」
友人は喜んで頷きました。私はその笑顔を見ながら、災い転じて福となす、そんな発想に彼女が至ることを祈りました。
次の日の事です。学校に到着した私は、友人が学校を休んでいる事を知りました。担任の先生が言うには風邪だそうです。嫌な予感がしました。昨日の彼女には全くそんな兆候は無かったからです。
私は事故に近い何かが起こったのだと思い、すぐに友人に携帯で電話をしました。友人は数秒も経たない内に電話に出ました。その様子や元気そうな声を聞く限り、大きな怪我を負ったり咽喉をウィルスにやられたりはしていないようです。
私はとりあえず、ホッとしました。
私は、今日休んだ理由を聞いてみました。友人は少し黙った後に、笑わないでね、と頼んできました。私はもちろん笑うつもりなどないので了承しました。
「昨日、あなたと別れた後にまた黒猫を見たの……。あたし、三回分の不幸に襲われないように家を出ない事にしたの」
私は思わず黙ってしまいました。友人はそれをどう受け取ったのか、そのまま何も言わずに電話を切ってしまいました。
偶然とはかくも恐ろしい物です。
私は一生懸命、友人が迷信のしがらみから逃れる術を考えていました。
友人はビクビクしながら、次の日には学校に登校してきました。しかし終始、何か不幸が襲ってくるのではとビクビクしていました。
私は昨日から一晩通して考えてきた事を友人に話しました。不幸をふりまくには何かしら魔術的なものが必要であろうが、黒猫の生まれる過程にそのような怪しげなものは見られない事。不幸をふりまく黒猫を実証した科学者はいない事。私も一回、黒猫が目の前を横切るのを見たことがあるが、何の不幸にもみまわれなかった事。
私としてはどれも完璧な説得でミスもなかったはずなのですが、友人が曇った顔を晴々とする事はありませんでした。
陽は傾き、もう下校の時間になりました。
友人は学校が始まってから終わるまで、ずうっと不幸に敏感になっていたものですから、下校する頃にはすっかり気疲れしていました(男子の笑い声にすらビクビクしているのです)。 私も、友人を安心させられるような言葉を使いきっていましたから、二人そろって八方塞がりな状況になっていました。
校門を出ても友人の顔は晴れません。
すっかりくたびれていた私は、もう、やぶれかぶれにこう言いました。
「一日の三倍、三日間も不幸だったんだから、これで不幸は終わりだよ」
友人は、そうなのかなあ、と半信半疑に呟いていましたが、こうなったら乗りかかった船。私は畳みかけるように言いました。
「考えてみてよ。あなたはずっと不幸続きだったでしょ? これまでの三日間をよく思い出してみて」
「そう言われればそうとも言えるけど……」
友人は釈然としない顔をしていましたが、私がドーナツ屋に寄ろうと提案すると満面の笑みを浮かべました。私も不幸について考えてばかりであったので、ドーナツのことに意識を移すと頭に詰まったおもりが解き放たれたような気分になります。
私たちは小走りに横断歩道を渡ります。とおりゃんせ、とおりゃんせ。行く細道の先は駅ではありません。商店街です。ドーナツ屋さんに行くのです。
おっと、足元に小柄な黒い影が。
「にゃあ」
あ。