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チューインガム

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高校2年の冬。君は、転校してきた。

目を閉じれば、あの日の君の顔そして、唇の感覚が思い出される。
もう君がいないという事実に、胸が苦しくなる。
出会わなければ良かったと思う日もあるけれど……。
ありがとう。俺と出会ってくれて。
好きだって言いたかった……。





「ほら挨拶して」
先生は微笑み。ほっぺたが薄紅色の、純朴そうな女生徒の肩にそっと手をのせた。
「小比類巻愛です。青森からきました……よろしくお願いします」深く頭を下げる。
誰かがボソッと「訛ってね?」と言った。クスッと起こる笑いは、それの肯定の意を示した。
「でも可愛いね」誰かが言った。

愛らしい二重まぶた、小さな顔。鼻。造形が整っている。
そして、155cmの身長と控え目な胸。

「みんな、よろしく頼む。席は、教室の右隅ね、『矢島』の隣に座って」
先生は俺の隣、 空席を指差した。

「先生。わたし、目が悪いから、前の方にしてもらいたいって……」

「あー、すまん。今日は我慢してくれ」先生は授業の準備をしながら言う。

「けど」

「考えておくから」

「……わかりました、大丈夫です」

「そうか」


俺は向かってくる彼女を眺めた。

隣の席に座り「仲良くして下さい、よろしくお願いします」頭を下げる彼女に俺は「ああ」と答えた。

「ねえ、こいつ、無愛想だけれど、悪い奴じゃないから」牧野佐和子は振り返った。

「あ、私は牧野佐和子。佐和子って呼んで」

「ありがとう。
わたしの事は愛って呼んで下さい」

にっこりと笑い。目を合わせている。

「よろしくね。矢島君。佐和子」

彼女がクラスに馴染むのは早かった。いい奴だからだ。

彼女の持つ柔らかい空気感。
人を穏やかな気分にさせる。


放課後、教室を後にする俺に人の輪の中から「ねえ、矢島君、一緒に帰ろ?」と声がかかる。
俺は振り向かず手を降った。ノーって事だ。
「あ……」
と残念そうな彼女の声が聞こえたが、遮るように教室のドアを閉めた。

「待ってよ」
俺が靴を履いている所、後ろから声がかかる。
「……」

「もう」

つま先をトントンと、
そして、彼女を無視して歩く。

「待って、って」

歩く速度を緩めた。

「ホント無愛想!それともわたしの事嫌い?」
走って来たのか息を切らしていた。
その息は外気温が低い為、白い。
目を合わせず、「嫌いじゃないよ」と答えた。

「んー、もう!でも慣れたし、佐和ちゃんから矢島君の扱い方聞いてるから、いいけどね!」
彼女は拗ねた顔をしている。

「今日もバイト?」
「ああ」
「そんなに働いてなに買うの?」
「……俺。専門学校行きたい」
「それはじめて聞いた、どう言う系?」
「調理師の学校、調理師の資格が取りたい」
「意外!でも、夢なんだね?」
「そうでもないさ」
「ふーん、わたしも料理好き。休みの日には、お父さんに作ってあげてるんだよ」
「そう」

……。
「こっちの冬も寒いねぇ。雪かきしない分いいとは思っているんだけれど」マフラーを巻き直しながら彼女は言う。

「……」俺は返事もせず、その姿を眺めた。

「あっと、わたしこっちだから、バイト、ガンバって、それではね」

「うん」

俺は、彼女の後ろ姿を眺めた。

(もうちょっと喋りたかったな)

「愛ちゃん最近元気ないけど、あんた知ってる?」
「青森の彼氏と別れたってさ」
「えー何で何で」
「わからない」
「電話してみよ」
「……やめとけって」
「何で!心配じゃん!」

電話をかける佐和子。
「愛ちゃん?今……電話平気?ねえ私で力になれる事ある?あったら、何でも言って、ね。うん、うん、それじゃあね。それだけ、うん、急にごめんね。じゃあ」

「……」
「明日、カラオケでも行かない?3人で」
「うん」

「ごめんね矢島君」
「いいさ、気にするな」そう言いつつ、同意書に書かれていた知らない男の名前にイライラしていた。

「……」
「……」

「ありがとう。本当不安だった。ごめんね」
彼女は肩を震わせ泣いた。
ここは新しい命が生まれる場所。彼女は芽生える芽を摘み取る。

俺は彼女の震えている肩を引き寄せた。

俺はまた人を好きになれるかもしれない。
感性を鈍らせていたこだわりが溶けていくのがわかった。

卒業式
『仰げばとおとし』

俺の目の届く範囲、『俺の好きな人』は肩を震わせていた。
今日、帰り道告白しよう、そう思った。

「ねえ、私でいいの?」



「ねえ、私でよかったの?」
「ねえ、ねえ」





「ホント何も言わない」
「あなたといてもつまらないわ」


「洗濯もの溜まってない?」
「……」
「まったく、帰ったら大変」
「……」
「子供達は……寂しがってない?」
「……」
「必要な物、書いといたから次持ってきてね」
「……」
「何か隠してない」
「……」

……。

「そう」
「……」
「ホントは少し知っている。わたしもうダメなんでしょ? 死んじゃうんでしょ?」



「……」
「優しいね。ありがとう」

君といた10年。
泣いたり笑ったり、
ギュッと手を繋いで何処までも歩いて行きたかったけれど、君の方の道は短かったみたいだね。仕方ないよ。サヨナラなんだ。
手を離し、頬を撫でる。 まだ暖かい。
その体温が切
せつ
なかった。
ゆっくりまぶたを閉じるから、そっと唇を合わせた。
ありがとう。俺と出会ってくれて。
もっと好きだって言いたかった……。



噛みしめる度、じわじわと薄れて、味のなくなったガム。いずれ銀紙で包んで捨てる。
作品名:チューインガム 作家名:佐伯