笑い鳥
そこに住むおばあさんは私の祖母二人よりも歳上のようで、いつでもふわふわとした真っ白な髪をしていて、ピンク色や水色等のパステルカラーの服を着ていて、灰色の瞳を細めて私を歓迎してくれた。鼻が大きくて彫りの深い顔立ちもあって、私はそのおばあさんは外国人だと思っていた。
いつも突然やって来る私におばあさんは笑って「いらっしゃい」と言い、良い香りのするお茶を淹れてくれて、色々な形をしたクッキーを出してくれた。そして母がいかに私に酷いことをするか、嫌なことを言うかという私の話を黙って聞いてくれて、必ず私に同意してくれた。「そう、それは悔しいね、悲しいね」と。その言葉が欲しくて、私はよくそのおばあさんに会いに行った。今思えば、母は産んだ子供達の中で唯一同性である私に一番八つ当たりしやすかったのだろう。だが私にしてみれば知った事ではないのでーーそれは今もだがーー、随分そのおばあさんに愚痴を零していた。
他にもたくさんの話を聞いてもらった。幼稚園で読んだ絵本がどんな風に面白かったか。男友達と取っ組み合いのケンカをして勝ったこと。その後散々怒られたこと。公園で友達と編み出した新しい遊び。テレビで観たアニメの話。そんな話を聞く度に、おばあさんは喉の奥を鳴らすように笑うのだった。
「あ、あ、あ、あ、あ」
姦しい母や兄弟達と違って、そのおばあさんはゆっくりとした口調で、ひとつひとつの言葉を大切にするように話す。笑い方も同じように、一羽一羽巣立って行く子鳥達を見送る親鳥のようなそれだった。その笑い声を聞くと、私はいつも「おばあさんは鳥なんだな」と思っていた。テーブルクロスが青地に白い鳥の柄だったからかもしれない。
「あ、あ、あ、あ、あ」
笑った数だけ、見送った数だけテーブルクロスに鳥がとまる。と勝手に想像して、おばあさんは長生きだからたくさん笑ったんだ、と勝手に思った。私もたくさん笑えたらいい、と思った。
ある日、母が怖い顔をしながら私に「もうあのお家に行っちゃ駄目よ」と言った。何故かと問う私に、母は理由を言わずにただ駄目だと言った。こうなるともう絶対に駄目なのだ。あぁ、もうあのおばあさんに会えない。私はその日、布団の中でひっそり泣いた。
それから小学3年生で引っ越すまで、引っ越した後も会わないままだった。それでもあのおばあさんを忘れることは無く、泣きたくなるとおばあさんの笑い声と同意してくれる声を思い出していた、
中学生になったある日、夕食の後にリビングでテレビを観ていると、母が思い出したように言った。
「知ってる? あのおばあさん死んだって。ほら、昔マンションの近くに住んでた、ちょっと外国人みたいな人」
母の言葉に父はあまり興味がなさそうに「へぇ、ああそう」と答えていた。
「あの人ちょっと変だったわよね。目も、あれ白内障でしょ? 頭おかしそうだったし」
そんなことない。あの人は私を否定しない、いつも同意してくれるたった1人の人だった。唯一の理解者だった。そう言いたかったが、言ったところで全否定が大きくなって聞きたくもない罵詈雑言がぶつけられることがわかりきっていたので、私はビリビリと痛む鼻の奥を押さえつけるようにテーブルに突っ伏した。「ちょっと、眠いなら部屋行きなさいよ」と言う母に首を振って応じた。体から力が抜けて動く気になれなかった。無性にあの笑い声が聞きたかった。
私は家族のいるリビングでたった独り、優しいおばあさんを悼んだ。