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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (50)

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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (50)幅1m足らずの県境の道


 「飯豊山へ登るのかい。いいねぇ、行っといでよ。
 幅が3尺(1m)の県境の登山道が、延々と7キロ以上も続いているんだ。
 一度行ってみる価値は充分にある。行っといで、行っといで」


 話を聞いた市さんが、大賛成だよと快諾します。
新潟・山形・福島の三県に県境を持っている飯豊連山ですが、その県境は
きわめて複雑なことになっています。
稜線に立てば東は山形県、西は新潟県と明らかに山形と新潟の2県が
背中合わせで接しているはずなのに、なぜか福島県がそこへ滑り込みます。


 福島県の西北端にそびえている三国岳から、
新潟と山形県の境目を割り裂く形で飯豊山の山頂を目指して、
福島県からの一本の登山道がニョキニョキと伸びています。
登山道の幅はおよそ三尺。1メートルにも満たない道幅ということは、
ひと跨ぎで新潟県から福島県の登山道を軽く通り越し、山形県側へ
着地ができるということになってしまいます。


 飯豊山の山頂付近から、やや登山道の幅が広くなるものの、
福島県の細々とした登山道は、さらに奥地にある御西岳まで続いています。
三国岳から御西岳までの総延長は、7.5キロメートル余り。
奇妙な登山道の存在は、いったい何を意味しているのでしょうか・・・


 明治時代、福島県の県庁所在地である福島市が
あまりにも北東部に偏りすぎているという理由から、県庁を
移転しょうという問題に発展します。
この問題は、福島県の西端の一部(東蒲原郡)を、
新潟県に移管する事で解決をします。
県庁所在地が右に偏りすぎていたのを修正するために、
県庁所在地を替えるのではなく、県という入れ物の形そのものを変え、
やや中心のほうへ位置を変えたというだけの話です。


 実際の問題としては、簡単に決着した出来事ではないと思われますが、
発想の転換としては実に面白い、東北ならではの結論の出し方だったと
思われます。
たしかに新潟県にある津川町(現在の阿賀町)は、かっては福島県だった
という話はよく聞かれる話です。


 こうして福島県庁の移転問題は無事に解決をみましたが、
別の火種が持ち上がり、突如として、県境を巡って別の論争が勃発をします。
飯豊山の神社は、福島県一ノ木村(現・山都町)に有るので、
飯豊山の山頂にある奥の院も福島県の所有である、と
福島県側が主張をします。
飯豊山は古来より新潟県に属する山であり、
飯豊山神社も寒川村(現・阿賀町)の土地に鎮座していると
主張する新潟県側と県境紛争に発展します。


 膠着した紛争打開のために、両県は内務大臣の裁定を仰ぐ事になります。
綿密な調査がおこなわれた結果、福島県側の主張が通ります。
1907年(明治40年)に、今の形の県境が決まります。
飯豊山神社とその境内、およびその登山道は福島県一ノ木村
(現・喜多方市山都町)に帰属するという裁定が下されます。
紛争勃発から20年後のことです。
その為に新潟・福島・山形3県の県境が接している三国岳から始まって、
種蒔山~飯豊山~御西岳へといたる登山道が、福島県側の道として
まるで蛇が這いずったような形のまま、地図上に
表記されることになります。



 「幅が1m足らずの県境の道が、7キロ以上も続いていくのですか。
 災難ですなぁ。突然、くさびのように細い道を
 長々と打ち込まれてしまった、新潟県と山形県のふたつの県が」


 「あはは。そういう言い方も確かにあるね、清子。
 でもね。自分たちの山として、喜多方に生まれた男たちは、
 13~4歳になると、一人前の男の証明として、毎年、
 この山へ登山を繰り返したもんさ」


 「え?。ということは、
 市姉さんもかつては、ここへ登ったということになるのですか!」


 聞かれた市奴が、清子にニンマリとした笑いを返します。


 「当たり前じゃないか。こう見えていてもいまだに戸籍上は男だよ。
 男たちの修行の山として慕われた飯豊山は、昭和の半ばまでは、
 女人禁制の山だったんだ。
 行っといで、行っといで。時代はすっかりと変わったんだ。
 いまは女性でも、大手を振って登れる山です。
 山上のお花畑は、お前が、想像を絶するほどの美しさで待っているよ。
 お前さんもきっと、病みつきになること請け合いだ!」


(51)へ、つづく