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さよならと世界が告げる

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【さよならと世界が告げる】


「知ってる?世界を消す方法って二通りあるんだ」
視線を空から外して彼の方を見ると「あ、流れ星」って言うからまた急いで空に視線を戻す。
きらきらと星は瞬いていたけれど、流れてはいなかった。
視線を彼へと移すタイミングを見失って、ただ光る星ばかり見上げる。
彼はまるで何もなかったかのように、(星が流れなかったかのように)、もう一度口を開いた。
「ひとつはね、世界中の人間を殺すこと」
まぁ、動物とか植物とかはめんどくさいから省くけど、と付け加えた彼の声は無機質で、感情一つすら籠っていないようだった。
「でね、もうひとつは自分が死ぬこと」
彼の声に被さるように、ピィっという草笛のような音が聞こえてきた。
さっき彼が手に持っていた葉で吹いたのだろうかと考える。
澄んだ空気にそのきれいな音はとてもよく響く。
「おかしいよね。こんなに世界中に人がいるのに、自分が死ぬだけでなくなるんだよ」
不意に彼の気配が自分の真後ろに移ったように思えて振り向くと彼は僕の真後ろで、両手を僕の背中に当てて立っていた。
「オレが押すと思った?」
くすくすと笑って彼は一歩、二歩と下がっていく。
さっきまで吹いていた草笛はどこにも見当たらなかったからきっと捨ててしまったのだろう。
彼の顔を見つめながら、そんなことを考えた。
彼はまた空を指さして「流れ星」と言ったけれど、僕は怖くて彼から視線を外せなかった。
今度空を見上げたらここから突き落とされてしまいそうだと思ってしまったからだ。
きっと彼なら僕の背中を簡単に押してしまえるだろう。
落下していく僕を、彼が薄く冷たい笑みを浮かべて見下ろす様が容易に思いうかぶ。
ここは展望台で、下は崖でそのさらに下は海だった。
自殺の名所と呼ばれる場所に真夜中に僕を呼び出した彼が何を考えているかはよく分からない。
彼の顔を見つめても、その眼はまるで鏡のように僕だけを映している。
「冗談だって、そんなに警戒しないでよ」
彼は肩を竦め、僕の隣を通り過ぎて手すりに腰かけた。
ここには安全用のフェンスなんて気の利いたものはなく、彼が少し体重を海の方向へずらせば簡単に海の藻屑へと消えてしまえる。
だからこそ入口に鉄の鎖がしてあったのだろう。
彼は簡単なカギなら開けてしまうから意味離さなかったのだけれどあれは忠告なのだと思う。
ここへ立ちいるな、という最初で最後の忠告なのだろう。
彼はもちろん、僕もその忠告を無視してしまったけれど、やはりここはそんなにいい場所ではないし、そんなに長くは居たくないと思った。
空気がとても冷たくて、寒いし、そして何より、暗い。
彼の少し癖のある柔らかく長めの髪が海風になびいているのが見える。
うっとおしそうに彼は片手でその髪をかき上げた。
「危ないよ」
「何が?」
「落ちそう」
「落ちないよ」
「怖くないの?」
「馬鹿と煙は高いところ好きっていうじゃん」
「…」
僕は彼を馬鹿だと思ったことなど一度もないけれど、その言葉にどう返せばいいのか分からなくて黙り込んでしまった。
黙り込んで俯いた僕を見ていた彼が、くすりと笑みを浮かべる。
彼はそれ以上何も云わずに視線を海の向こうへと静かに向けた。
向こうの入り江に灯台があるのだろう。
闇の中で時折、確かな光が浮かぶ。
時間を確認しようとポケットに入れていた携帯を開くとその光で一瞬何も見えなくなった。
『闇の中では強すぎる光は意味を持たない』
いつだったか、彼がそんな事を言っていたなと思い出す。
忘れものをして夜の校舎に取りに戻った時、電気がひとつも点いていない教室の窓際の席に座っていた彼は、僕の持っている電池が新しいためか明るすぎる光を放つ電燈を見てそう言った。
『真っ暗で見えないというのと、眩しくて見えないっていうのは色が違うだけでどちらも闇だよ』
彼はそう言った癖に次の瞬間には僕が持っているのと同じくらい眩しい電燈を僕に向けた。
その光の向うで、きっと彼はいつものように笑っているんだろうと僕は思ったけれど、光の所為で彼の表情はひとつも見えなかった。
もう数時間後には朝を告げるような時間だけれど、それにしては空は暗かった。
携帯をパタンと閉じると辺りはまた黒へと戻る。
さっき見えた灯台の光は弱まっていないはずなのに光に慣れた目では識別できなくなっていた。
「みんな真夜中が一番暗いと思ってると思うけどさ、実は太陽が昇る前が一番暗いんだよ」
「へぇ、どうして?」
「月が沈むから」
「そっか、そういえば月はもう見えないね」
「…また朝が来るなぁ」
灯台が光るリズムに合わせて彼は手すりを軽く叩いていた。
そしてそのリズムで足も揺れている。
子供がするように足を交互に揺らして、彼は海をずっと眺めていた。
僕はそんな彼を見つめていたけど、夜の風に体が冷えてきて部屋に戻りたいと思った。
季節は夏で、気温は高いのにも関わらずこの場所にいるととても冷える。
肌はじっとりして汗ばんでいるはずなのに、骨からしみるような寒さだ。
暑いのに寒い。
複雑なその体感と潮風でべたつく肌や髪が少し気持悪い。
「ねぇ、そろそろ帰ろうよ」
「…」
「トイレも行きたいし、帰ってあたたかいお茶でも飲もうよ」
「…そうだね」
彼は何かを諦めたような声でそう言った。
なぜそのような声を出したのか、いつもだったら考えることもしたかもしれないけれど今は何故か早くこの場を離れたかったのだ。
「先に階段降りてるよ?」
「…うん。すぐいくよ」
彼のその返答に俺はまずは展望台を降りようと彼に背を向けて上ってきた階段の方へ歩き出す。
一瞬何かが聞こえた気がした。
それはもしかしたら風の音だったかもしれないし、星が瞬いた音だったかもしれない。
振り返ろうとした瞬間、何かが海に落ちて大きな波が立つ音が耳に届く。
振り向いて彼の名前を呼んでみたけれど、さっきまでそこにいたはずの彼の姿はなかった。
さっきと同じ風景の中に、ただ彼だけがいないのだ。
恐る恐る、さっき彼が座っていた場所へと歩み寄る。
そして下を覗き込むと、真っ暗な闇の中にたまに白く波が立つ以外何も見えない。
さっきまで風の音、星の瞬いた音にしか聞こえなかった音が、彼の「さよなら」という声だったというのに気付く頃には東の空が明るくなり始めていた。
それなのに彼が落ちた海に彼の姿は見当たらなくて、まるで最初から僕ひとりだったみたいだ。
彼なんてものは始めから存在していなくて、僕ひとりだけでこの場所に来てしまったみたいだ。
「世界は消えたのかな…」
ぼそっと呟いた声は、波の音にかき消される。
僕のその言葉に彼の声が返事をすることはなかった。
けれど、先程彼が吹いた草笛の音がピイと、どこからか聞こえてきた。

作品名:さよならと世界が告げる 作家名:志月*