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続・小説投稿サイトの存在価値

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続・小説投稿サイトの存在価値





 前回の「小説投稿サイトの存在価値」に対し、こんな駄文はエッセイではない、と批判されたので、エッセイとはどのようなものかということをネットで調べてみた。

1 自由な形式で意見・感想などを述べた散文。随筆。随想。
2 特定の主題について述べる試論。小論文。論説。

自由な形式で、通常はある1つのテーマをめぐって書かれた散文。語源は「試み」の意であるフランス語のessaiより。この語を初めて近代的な意味で用いて書名とした、フランスの思想家ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』(Essais,1588年)は、幅広い知識と教養に裏付けられた、批判的、複眼的な視野で、深い人間観察、人間探求を実践、この分野の古典となった。話の筋道が整合的な体系に回収されてしまうことを何より忌避して、複数の論理や断片的な思考に積極的に身を任せ、脱線や逸脱や逡巡をいとわない。安直な全体化に執拗に抵抗する、そんな自由な思考の「試み」にこそ、エッセイというジャンルの本質がある。(中略)この用語が厄介なのは、これを「エッセイ」と訳すか、「随筆」「随想」と翻訳するかで、日本語ではそれぞれ異なる書きものを指してしまうからであろう。「随筆」「随想」には、名のある文学者や知識人が気軽に書いた、だが味のある散文の小品、といった趣がある。(後略)

 このようなものを引用すると、まさに墓穴を掘った感がある。さて、私が書くものはエッセイだろうか、単なる駄文だろうか。だが、実を云えば後者であって一向にかまわない。ジャンル分けに「駄文」はないので、今回も「エッセイ・随筆」を選んだだけの話である。「幅広い知識と教養に裏付けられた」文章を読みたければ、書店へ足を運んで頂くと良いだろう。
 何しろ私の学歴は実質的に中卒である。教養とは無縁の存在なのである。だが、それでも小説を書きたい。小説を書くためには資格も免許も必要ではない。
小説投稿サイトを活用されている人々の大半は、私とは正反対で「幅広い知識と教養」を身に着けているに違いない。だから私の作品が目ざわりなのだと思う。そのような諸兄には心から申し訳なく思うのだが、このサイトから排除されたくはない。小説を書くことは面白いからである。私も一時はプロに憧れていたが、自らの作品を読み返してみると、そのような想いが余りにも無謀であったことには既に充分に気付いている。
 さて、本題の小説投稿サイトの存在価値について記述を試みることにしよう。
 小説投稿サイトは誰にでも作品の公開が許されている。この事実は、これの存在を知った人間に創作意欲を芽生えさせるという点で、非常に価値がある。また、以前より創作活動をしていながら、公開の道がなかった者に活路を開いたという点に於いても、極めて高い価値を認めることができる。更に、小説投稿サイトは、孤独な創作者たちに交流と意見交換の場を与えているという面でも価値がある。
 まだまだあるのだが、本日徹夜仕事明けの私は、このような駄文を記すことに著しい疲労を感じ始めたので、今回は間もなく筆を置くことにしたい。
 最後に申し上げたい。他人の小説作品をけなす者は、自らの小説作品を公にしてから批判するのがフェアではないだろうか。
そういう人間はその人柄には欠陥があるとしても、その作品はかなり高次元のものかも知れない。私がその人物のファンになってしまうような、素晴らしい作品を書けるかも知れないので、いつか公開することを期待している。

2013年3月13日