小説投稿サイトの存在価値
小説投稿サイトの存在価値
絵を今でも私は描こうとしていますが、油彩画用、水彩画用も含めて道具だけは最近新しく買い揃えたものの、時間があっても描くことができません。風景画が好きなので気候が暖かくなったら描きに行こうと、冬の間思い続けていました。
このところ漸く春めいてきましたので、さあ出かけようかとは思うのですが、重い腰は重いままです。若い頃、私は絵のサークルのメンバーでした。だから作品展に出すものを仕方なく描いていました。殆ど一年中、そういうことが続いていました。
小説のようなものを、その頃も書いていました。但し発表の機会は滅多になく、未発表の未熟な、未完成の作品を、書いてはいましたが作品数、枚数とも僅かでした。
インターネットを利用しての小説作品の公開ができるようになってからは、作品の質はそれほど向上しないものの、どうにか完結させられるようになり、執筆に充てる時間も若い頃の数倍に増えています。
インターネット上の小説投稿サイトは、私が知っているだけでも幾つかあります。それがあるから頑張って書けるのですが、作品を公開すると何か良いことがあるのかと云うと、あまり良いことはありません。明晰な頭脳も才能もない人間が、作品を公開しても極く僅かな読者に読んで頂けるだけです。
ネットでの公開を意味のあるものにするにはどうすれば良いか。それは小説の書き方を勉強しながら書くということです。ただ、勉強したから頭が良くなるのかどうか。そして、才能が伸びるのかどうか。そのあたりが問題です。
しかし、若くなくても、才能がなくても、努力することは無意味ではありません。毎日ジョギングをする人は、オリンピックでメダルをもらえなくても頑張って走っています。スキーが好きな人も、大会に出られなくても冬になればスキー場へ向かいます。
趣味というものを考えると、文化系も、運動系も、非常に多種多様です。その中でトップを、プロを標榜する人が或る程度は存在しますが、そうではない人もいます。そういう人の方が圧倒的に多いのです。
絵も小説も、私は死ぬまでやめません。好きだからです。下手の横好きですが、まあ、いいじゃないですか。ただ、批判はされたくありません。プロを目指している人から見れば、どうしようもない存在です。劣悪な頭脳と、貧弱な才能に鞭打って、それでもとにかく、できる範囲で勉強しながら頑張ります。
漸く暖かい気候になりつつあります。春は好きです。花見にも行きたいと思っています。あの、花見というのは趣味に入るのでしょうか。趣味というものにはアマチュアがいて、同じようなことをしているプロがいます。花見にはプロもアマもないので、やはり、趣味には入らないのでしょう。
2013年3月11日
作品名:小説投稿サイトの存在価値 作家名:マナーモード