赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (37)
福島県会津地方の一角にあり、名水にも恵まれている喜多方市は、
「末廣」や「名倉山」など、多数の酒蔵が密集をしている会津若松市の、
少し西北に位置をしています。
「蔵のまち喜多方」としても知られ、多くの旅人たちが集うことで有名です。
はじめてこの街を訪れた人に、思わずの懐かしさと、郷愁を
感じさせずにはおかない、素朴な趣が、この街のあちこちに漂っています。
喜多方に存在をするたくさんの蔵は、
観光のためにつくられたものではありません。
この蔵は現在も人が住み、使われ、暮らしの器としての役割を
果たしています。
表通りはもちろんのこと、路地裏や郊外の集落にまでいろいろな
用途の蔵が立ち並んでいます。
その数は、4000棟を越すといわれています。
これほど多くの蔵が建てられているのには、
いくつかの理由があります。
多くの蔵が、いまでも酒蔵や味噌蔵として使われていることからも
わかるように、良質の水と米に恵まれた土地ならではの醸造業を営む場として、この地では蔵が、もっとも適した建物であったということが、
あげられます。
この地においての蔵はまた、男たちの夢の結晶です。
「四十代で蔵を建てられないのは、男の恥」「蔵は男の浪曼」
とまでいわれています。
喜多方の男たちにとって自分の蔵を建てることは、
情熱をかけた誇りの対象であり、自らの成功を外部に示す証であり、
生きるための目標のひとつです。
喜多方の蔵が画一的な様式のものばかりでなく、白壁や黒漆喰、
粗壁やレンガなどの種類の多さや、扉の技巧にいたるまで、
きわめて多彩に、かつバラエティー豊かに構築されているのは、
そうした男たち1人1人の、ロマンの現れかもしれません。
もう一つ、この街で大きなきっかけを生んだものが、
明治13年に発生をした、喜多方市街地一帯を襲った突然の大火です。
この火事は、市の中心部から瞬く間に燃え広がり、300棟余りの家々を
ことごとく、焼き尽くしたといわれています。
くすぶり続ける焼け野原の中に厳然と残ったのが、今に伝えられている
多くの蔵たちだったと言われています。
明治の中頃に、喜多方にレンガ工場が建てられています。
レンガ積みの技術導入に熱心な人たちが、全国でも珍しい煉瓦作りの
蔵なども建てています。
ここでは棟梁や建具、左官、塗工の分野に、創意工夫に富んだ
名工たちが名をなしています。
こうした人々の指導のもと、たくさんの卓越した職人たちも、
たくさん生まれています。
こうしたことに加え、大地震や大水、台風などの天災が少なく、
また戦争の災禍もまぬがれた為に、市内や農村部において、
今でも蔵がたくさん無傷のまま残っています。
喜多方の小原庄助旦那こと、
大和屋商店は、江戸時代中期の寛政二年(1790)に
創業をして以来、9代にわたって酒を造り続けてきた老舗の酒蔵です。
変わることのない、清冽な飯豊山の蒸留水を仕込み水として使用しています。
代々の杜氏の一途な心意気によって「弥右衛門酒」をはじめとした
銘酒を、数多く生みだしています。
「よう来た。よう来た。
さっそく来てくれたとは、わしとしても嬉しい限りだ。
おう。たまも一緒だな。すごかったなぁ、お前のあの名演技!
遠慮するな。入れ、入れ。ここがウチの酒蔵だ」
黒塗りのタクシーが止まった瞬間、待ちかねていた小原庄助が
酒蔵から、脱兎のごとく駆け出してきます。
和服を着込んでいた昨夜の印象とは大きく異なり、今日は
酒蔵専用の作業着です。
「すんまへんなぁ。
小春は野暮用が有るとかで、本日も来られまへん。
代わりにあたしが、この子達の面倒を仰せつかってまいりました」
「いやいや。市さんに謝ってもらったのでは、こちらが恐縮します。
小春が酒蔵へ顔を出せないにはいつものことですので、
気にせんといてください。
今日は、凄い芸当を見せてくれたたまと、清子へのご褒美です。
と言っても、まだ15歳の清子に、酒蔵見物などの興味はないか・・・・
おい。娘の恭子を呼んでくれ。
たまと清子は、喜多方の町の探索と、
美味しいラーメンのほうがいいだろう。
娘に案内をさせるから、ゆっくりと町を歩いてくるといい。
市さんは、やっぱり搾りたての純米酒のほうがだろう。
今年も良いカスモチ原酒※が出来上がったので、
早速、試飲といきますか」
(へぇぇ・・・喜多方の小原庄助さんには、娘がいたのか。)
どんな娘さんだろう、と期待にときめく清子の耳に、遠くから
軽快に石畳を蹴る、カラコロと鳴る下駄の音が聞こえてきます。
※カスモチ原酒とは
厳選された会津米と霊峰飯豊山の雪解け水からなる伏流水を用い、
身も凍る厳寒期に仕込まれる酒のことです。
ゆっくり、気長にじわりじわりと発酵させ、晩春の頃に
初めて出荷されます。
酒を仕込んだモロミをカスと言い、モチは長く持たせるという意味で、
寒造り低温長期発酵が、この酒の一番の特徴です。
口あたりはきわめて豊潤。独特なこうじを多目に加えた天然の甘い酒で、
創業200年あまりの伝家の醸法を厳格に守り、
今日に受け継がれてきたものです。
(38)へ、つづく
作品名:赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (37) 作家名:落合順平