赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま （34）
｢おい。誰だァ。猫なんかお座敷に連れてきたのは！」
突然の大きな声に驚いて、たまが思わず正気に戻ります。
音楽に乗ってうかれているうちに、つい我をわすれ、
かごから身体を出していたのです。
軽快な小春姐さんの三味線に乗って、裾をはだけ汗だくで踊っていた清子が
はっと気づいて立ち止まり、慌てて背後を振り返ります。
｢三毛猫やないか。ほお～、可愛い顔をしておるやないか、お前。
おっ。なんや、こいつ、オスやでぇ。待て待て、
事態が何やら変わってきたぞ。
三毛のオスとは、こいつは春から縁起がいい」
ヒョイと、たまを片手で持ち上げた喜多方の小原庄助旦那が、
懐から手ぬぐいを取り出すと、て早く４つに折りたたんだあと、ふわりと
頭からたまにかぶせてしまいます。
｢ほう。なかなかに愛嬌などもあるようだ。
半玉の市花よりも、よほど愛想がいいし、見た目、
芸達者のようにも見えるなぁ」
あわてて飛んできた清子が、たまを庄助旦那から受け取り、
自分の懐へ抱きあげます。
『駄目じゃないのさ。あれほど出るなと言っておいたのに。まったく、もう
あんたって子は・・・お茶目なんだから・・・』と、きつい目をして、
たまを睨みます。
苦笑したまま三味線を止めた小春が、上座から小さく頭を下げています。
｢ウチの子猫です。お騒がせしてすんまへん。若旦那さん」
｢いやいや。三毛のオスとは珍しい。
ところで、こいつ、なにやら、
一人前に芸当でもしでかしそうな顔をしているぞ。
小春。お前、その帯の細紐を解いて、そっちからこっちへ、
ピンと張ってみな。
市花（清子の半玉名）。お前、そっちの棚から、人形の日傘を取ってくれ。
背中に背負わせて、三毛に、猫の綱渡りをやらせてみようじゃないか」
｢そらまた、クリーンヒットの名案です！」
｢庄助さん。あれは狸のやる所業でありまして、ど素人の小猫に、
いきなりの綱渡りは、少しばかり、無理すぎる注文ではありませんか？」
｢わかるもんか。やらせてみなければ。
いいか。日傘は背中にくくりつけて、手ぬぐいはねずみ小僧のように
しっかりと顔に決めてくれよ。頼んだぜ、皆の衆」
振って湧いたような突然の大騒ぎの中、
たまは全員の手にもみくちゃにされながら、綱渡りに挑戦をする子猫に、
着々と仕立て上げられていきます。
『な、なんだよ。
いったいぜんたい、オイラを取り囲んだこの大騒ぎぶりは。
まさか。文福茶釜の狸じゃあるまいし、猫が、
綱渡りなんかするはずがねぇだろう。
おい。清子。期待をするようなそんな目で、俺の顔なんかみるんじゃねぇ。
俺まで、なぜかその気で、やる気になっちまうじゃねえかよ・・・・』
たまの目の前で、庄助旦那が80センチほどの高さにわたって
1畳ほどの間に、小春の細紐を使った綱をピンと張ってみせています。
『おいおい。準備がすっかり整い始めたぜ。それにしてもよう、
ちょっとばかり高いなぁ・・・・』
たまの目が、ピンと張られたばかりの綱を、下から不安そうに見上げます。
｢小春。伴奏の景気づけだ。『猫じゃ猫じゃ』を弾いてくれ！」
小唄(こうた)の中に「猫じゃ猫じゃ」というのがあります。
小唄は、幕末の頃に成立した邦楽の種目で、
短詩型の小曲を三味線の爪弾きで伴奏する短い歌曲のことです。
爪弾きとは、三味線の撥(ばち)を用いずに人指し指の爪の端の肉を、
糸にあててひくことで、やわらかい音が弦から発生します。
端唄(はうた)を母体に生まれたものですが、端唄よりも少し
速い曲調となります。
♪ 猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが
猫が 猫が下駄はいて 絞りの浴衣で来るものか
オッチョコチョイノチョイ
下戸じゃ下戸じゃとおっしゃいますが
下戸が 下戸が一升樽かついで 前後も知らずに酔うものか
オッチョコチョイノチョイ
｢本格的な、猫の綱渡りと行こう。
市さん。そっちを持ってもう少し高く張ってくれ。
そうだな。とりあえず、1メートル30ほどの高さに、ピンと張ってくれ。
上手くいったら、拍手喝采だ。どうだ。
綱の準備のほうはこれで充分だろう。
そっちはどうだ？子猫の方は準備が出来たか」
真っ赤な日傘を背中に背負わされ、
豆絞りの手ぬぐいで頬かぶりをされたたまが、覚悟を決めた様子で、
清子の両腕の中で、事の成り行きを眺めています。
ピンと張られた小春の細紐が、１畳ほどの距離の中で１ｍ30の高さを
保ったまま、主役の登場を、今や遅しと、ゆらゆらと待ち構えています。
『おいおい。すっかりの本気モードかよ・・・
それにしても、いきなりのど素人に、
１ｍ30の綱渡りはあまりにも高すぎだろう。
だいいち、身体に付けた小道具が多すぎて、重すぎるぜ。
猫とは言え、あそこから落ちたら、絶対に、ただじゃすまなくなる。
まいったなぁ。・・・どいつもこいつも、
オイラを止める素振りすら見せやしねぇ。
おいら。大道芸用の猫じゃないんだぜ。まったく。
こら、清子。お前まで楽しそうな顔をして、オイラの顔を見るんじゃねぇ。
まいったなぁ。ちょっとだけ顔を出したことが、いつのまにか、
絶対絶命の大ピンチを、自ら招ねいちまったようだぜ・・・・』
（35）へ、つづく
作品名：赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま （34） 作家名：落合順平