僕の居場所は君の隣(中)
「とーもちゃん、リーディングの宿題見せて〜?」
「ちゃん付けするな、鬱陶しい」
リーディングの授業直前の休み時間、へのへのもへじにノートを突きだしながら、僕は無愛想に言う。へのへのもへじはニヤリと笑った。
「だって男でこんなに完璧に宿題やって来る奴なんていないよ〜智輝くんは女の子なんだよねー、ともちゃん?」
「僕は、男だ」
「はいはいわかってるよ、冗談が通じないってヤダねぇ」
貴也は隣のクラスだから、こういう時に僕を庇い相手をいさめることはない。奥歯をぎりりと噛み合わせ、僕は侮蔑に耐えるしかない。
へのへのもへじはゲラゲラ笑いながら僕のノートを開く。雑な字で己のノートに日本語訳を写し、やがて満足げに勿体ぶったしぐさでノートを閉じた。
「ここまで写しときゃいいかな。ありがとーともちゃん、またよろしく」
「たまには自分でやって来た方が良いぞ、試験前に慌てるはめになる」
「ともちゃんがいなくなったら考えるよ、俺忙しくてさぁ」
へらっと笑ったもへじから突き返されたノートを受け取り、僕は無言のまま自席に着いた。
ともちゃんがいなくなったら。僕を搾取の対象にしか見ていないような言葉に嫌悪感をいだく。まるで自分が僕に依存するのは僕のせいみたいな言い方ではないか。
「忙しくてさぁ」?彼がなぜ忙しいのかを僕は知っている。ゲーセン、カラオケ、それらは時間を浪費するだけで大した趣味ではない。
下品な輩には関わらないに限る。関先生はご老体で、職員室から教室までカタツムリ並みの速度で歩いておいでになる。僕は読みかけの文庫本を開いて先生のお越しを待つことにした。
放課後。息苦しいまでに狭い教室からクラスメートたちが三々五々散ってゆく。
部活へ、委員会へ、校外活動へ、家へ。僕は鞄を肩にかけ、サッカー部員の掛け声や吹奏楽部員の鳴らす楽器の音を背に、家路に着いた。どうも集団行動というものは得意ではない。
やがて、僕の後ろから足音が近づいてきた。アスファルトを踏み鳴らす乱れた足音には聞き覚えがある。僕は後ろを振り向いた。
「…貴也。どうした?」
「や、掃除終わって窓の外見たら智輝が見えたから。一緒に帰ろうぜ」
「そうじゃなくて」
いつも一緒に帰る恋人はどうした?
さらっと訊けばよかったのに、なんだか訊いてはいけないことのように思えて瞬間ためらってしまった。
「石川さんねぇ、振られちゃった」
石川さんという名前だったのか…ってそんなことはどうでも良い。
振られただって?
この長身イケメン、イケボで、優しく笑い、穏やかに話す、貴也が?
「なんで?石川さんの方から告白したんだろう?」
「…だからじゃねえの?思っていたのと違うんだってさ」
貴也は淡々と話す。まるで他人事のように。まるで傷ついてなどいないかのように。けれどその足取りはいつにも増して軽く、かえって空元気を思わせた。
「貴也、話聞かせろ。駅前のミスドで良いか」
「聞いてくれんの?ありがとー。でも今金欠なんだよな」
ドーナツとコーヒーぐらい奢ってやると言いたい所だが、貸しを作るみたいなのもしっくりこない。僕はさらっと提案した。
「なら、僕の家だな」
貴也が頷いた。母はパートで夕方にならないと帰らないし、姉は大学のサークル活動で父より遅い。気軽に過ごせる家なのだ。
鍵をがチャリと回し、そう広くはない家へと親友を招き入れる。勝手しったる貴也は、整然というよりものがないという方が相応しい僕の部屋に先に行く。僕はジュースとチョコレート菓子を持って後から部屋に入り、ローテーブルに菓子類を置いた。
ベッドに腰掛けた貴也は、辺りをぐるりと見渡して感心したように言う。
「相変わらず整ってんね。男の部屋じゃないみたい」
昼間のへのへのもへじとの会話を思い出し、僕は僅かに眉間にシワを寄せた。その気配を感じとり貴也が手を振る。
「悪い、男女は関係なかったよな」
さらりと方向転換ができる小気味のよさに、僕は気を取り直す。コップにジュースを注いでやりながら貴也に訊いた。
「恋人と、何があった?」
「何も」
「何も?」
「ああ」
僕が差し出したコップを「ありがと」と受け取り、貴也はやるせなそうに首を振った。
「何もしなかったら、何もしてくれないってキレられて、もう別れる!って」
中途半端な物真似がちっとも柄にあわなくて、僕は小さく吹き出した。貴也は苦笑する。
「女の子って難しいな。手を繋いできたから肩を抱いたら避けられて、どうしたもんかわからないからキスもせずにいたら『空気読んでよ、バカ!』ってこうだもん」
手のひらを、目の前の空気を右から左に乱暴に押しやるように動かす。
「男は楽で良いな。腰を抱いても動かずにいてくれるから、安心して温もりを味わっていられる」
貴也が天井を仰ぎながら言う。奇妙な違和感が胸に宿る。僕は問う。
「貴也…、その男って」
貴也はちらりと僕を見て、何を言っているのかとでも問うように首をかしげた。
カーペットの上に座っていた僕を、貴也が手招きする。立ち上がりベッドサイドまで歩み寄った僕の腰に腕を回してから、貴也は僕のお腹に頭を寄せた。
「智輝、俺のこと好きでしょ」
「ああ、…好きだよ」
それはライクなのかラブなのかとか、改めて問うような無粋なことは必要なかった。毎朝、満員電車でどさくさに紛れて腰に回された手。それを避けない僕に、貴也は毎朝安堵していたのだ。
お腹に預けられた貴也の頭を、僕はそっと抱き締めた。僅かに硬い髪を撫でて、自分の言葉で言ってやる。
「僕は貴也が好きだ。頼もしいところも、優しくて繊細なところも、たくましい体も、全部」
「ああ、…知ってた」
「知っていて、試すみたいにそばにいたわけか?意地が悪いな」
「…謝るよ」
「謝罪より、感謝をくれ。僕はそんな貴也が好きだ」
「ああ、ありがとう」
ぎゅ、力強く抱き締めてから、腕を離す。腰を屈めて目線を合わせれば吸い寄せられるように唇と唇が重なった。
このタイミングはかなり自然で、違和感なんてなかった。貴也が石川さんとかいう女の子とのキスを為損なったということは、きっと二人は重ならない運命だったのだろう。何かの間違いで袖ふれあうなんてこともあるだろう、僕は思う。思いながら、ただくっ付けるだけのキスをした。
どちらからともなく名残惜しげに唇を離すけれど、やはりまた唇を寄せる。さっき離したのは間違いでしたとでもいうように、啄むような戯れを繰り返す。やがて斜陽が窓を照らし、二人揃ってそちらを見た。
「そろそろ母さんが帰ってくるかも」
蚊の鳴くような声で言うと、貴也は立ち上がった。帰るのだろうかと思ったが、ドアに向かう貴也は手に鞄を持ってはいない。
ガチャリ、ドアに鍵をかけ、貴也はくるりと振り向いた。
「1ヶ月分の思いに応えるにはまだまだ足りないだろ?」
貴也は笑いを含んだ声で言って、テーブルの上のチョコレートを口に含む。口の中でコロコロと転がし、僕をベッドに押し倒した。
「最初からがっつくなよ、獣みたいに」
「今はただ智輝がほしいだけだよ」
「ちゃん付けするな、鬱陶しい」
リーディングの授業直前の休み時間、へのへのもへじにノートを突きだしながら、僕は無愛想に言う。へのへのもへじはニヤリと笑った。
「だって男でこんなに完璧に宿題やって来る奴なんていないよ〜智輝くんは女の子なんだよねー、ともちゃん?」
「僕は、男だ」
「はいはいわかってるよ、冗談が通じないってヤダねぇ」
貴也は隣のクラスだから、こういう時に僕を庇い相手をいさめることはない。奥歯をぎりりと噛み合わせ、僕は侮蔑に耐えるしかない。
へのへのもへじはゲラゲラ笑いながら僕のノートを開く。雑な字で己のノートに日本語訳を写し、やがて満足げに勿体ぶったしぐさでノートを閉じた。
「ここまで写しときゃいいかな。ありがとーともちゃん、またよろしく」
「たまには自分でやって来た方が良いぞ、試験前に慌てるはめになる」
「ともちゃんがいなくなったら考えるよ、俺忙しくてさぁ」
へらっと笑ったもへじから突き返されたノートを受け取り、僕は無言のまま自席に着いた。
ともちゃんがいなくなったら。僕を搾取の対象にしか見ていないような言葉に嫌悪感をいだく。まるで自分が僕に依存するのは僕のせいみたいな言い方ではないか。
「忙しくてさぁ」?彼がなぜ忙しいのかを僕は知っている。ゲーセン、カラオケ、それらは時間を浪費するだけで大した趣味ではない。
下品な輩には関わらないに限る。関先生はご老体で、職員室から教室までカタツムリ並みの速度で歩いておいでになる。僕は読みかけの文庫本を開いて先生のお越しを待つことにした。
放課後。息苦しいまでに狭い教室からクラスメートたちが三々五々散ってゆく。
部活へ、委員会へ、校外活動へ、家へ。僕は鞄を肩にかけ、サッカー部員の掛け声や吹奏楽部員の鳴らす楽器の音を背に、家路に着いた。どうも集団行動というものは得意ではない。
やがて、僕の後ろから足音が近づいてきた。アスファルトを踏み鳴らす乱れた足音には聞き覚えがある。僕は後ろを振り向いた。
「…貴也。どうした?」
「や、掃除終わって窓の外見たら智輝が見えたから。一緒に帰ろうぜ」
「そうじゃなくて」
いつも一緒に帰る恋人はどうした?
さらっと訊けばよかったのに、なんだか訊いてはいけないことのように思えて瞬間ためらってしまった。
「石川さんねぇ、振られちゃった」
石川さんという名前だったのか…ってそんなことはどうでも良い。
振られただって?
この長身イケメン、イケボで、優しく笑い、穏やかに話す、貴也が?
「なんで?石川さんの方から告白したんだろう?」
「…だからじゃねえの?思っていたのと違うんだってさ」
貴也は淡々と話す。まるで他人事のように。まるで傷ついてなどいないかのように。けれどその足取りはいつにも増して軽く、かえって空元気を思わせた。
「貴也、話聞かせろ。駅前のミスドで良いか」
「聞いてくれんの?ありがとー。でも今金欠なんだよな」
ドーナツとコーヒーぐらい奢ってやると言いたい所だが、貸しを作るみたいなのもしっくりこない。僕はさらっと提案した。
「なら、僕の家だな」
貴也が頷いた。母はパートで夕方にならないと帰らないし、姉は大学のサークル活動で父より遅い。気軽に過ごせる家なのだ。
鍵をがチャリと回し、そう広くはない家へと親友を招き入れる。勝手しったる貴也は、整然というよりものがないという方が相応しい僕の部屋に先に行く。僕はジュースとチョコレート菓子を持って後から部屋に入り、ローテーブルに菓子類を置いた。
ベッドに腰掛けた貴也は、辺りをぐるりと見渡して感心したように言う。
「相変わらず整ってんね。男の部屋じゃないみたい」
昼間のへのへのもへじとの会話を思い出し、僕は僅かに眉間にシワを寄せた。その気配を感じとり貴也が手を振る。
「悪い、男女は関係なかったよな」
さらりと方向転換ができる小気味のよさに、僕は気を取り直す。コップにジュースを注いでやりながら貴也に訊いた。
「恋人と、何があった?」
「何も」
「何も?」
「ああ」
僕が差し出したコップを「ありがと」と受け取り、貴也はやるせなそうに首を振った。
「何もしなかったら、何もしてくれないってキレられて、もう別れる!って」
中途半端な物真似がちっとも柄にあわなくて、僕は小さく吹き出した。貴也は苦笑する。
「女の子って難しいな。手を繋いできたから肩を抱いたら避けられて、どうしたもんかわからないからキスもせずにいたら『空気読んでよ、バカ!』ってこうだもん」
手のひらを、目の前の空気を右から左に乱暴に押しやるように動かす。
「男は楽で良いな。腰を抱いても動かずにいてくれるから、安心して温もりを味わっていられる」
貴也が天井を仰ぎながら言う。奇妙な違和感が胸に宿る。僕は問う。
「貴也…、その男って」
貴也はちらりと僕を見て、何を言っているのかとでも問うように首をかしげた。
カーペットの上に座っていた僕を、貴也が手招きする。立ち上がりベッドサイドまで歩み寄った僕の腰に腕を回してから、貴也は僕のお腹に頭を寄せた。
「智輝、俺のこと好きでしょ」
「ああ、…好きだよ」
それはライクなのかラブなのかとか、改めて問うような無粋なことは必要なかった。毎朝、満員電車でどさくさに紛れて腰に回された手。それを避けない僕に、貴也は毎朝安堵していたのだ。
お腹に預けられた貴也の頭を、僕はそっと抱き締めた。僅かに硬い髪を撫でて、自分の言葉で言ってやる。
「僕は貴也が好きだ。頼もしいところも、優しくて繊細なところも、たくましい体も、全部」
「ああ、…知ってた」
「知っていて、試すみたいにそばにいたわけか?意地が悪いな」
「…謝るよ」
「謝罪より、感謝をくれ。僕はそんな貴也が好きだ」
「ああ、ありがとう」
ぎゅ、力強く抱き締めてから、腕を離す。腰を屈めて目線を合わせれば吸い寄せられるように唇と唇が重なった。
このタイミングはかなり自然で、違和感なんてなかった。貴也が石川さんとかいう女の子とのキスを為損なったということは、きっと二人は重ならない運命だったのだろう。何かの間違いで袖ふれあうなんてこともあるだろう、僕は思う。思いながら、ただくっ付けるだけのキスをした。
どちらからともなく名残惜しげに唇を離すけれど、やはりまた唇を寄せる。さっき離したのは間違いでしたとでもいうように、啄むような戯れを繰り返す。やがて斜陽が窓を照らし、二人揃ってそちらを見た。
「そろそろ母さんが帰ってくるかも」
蚊の鳴くような声で言うと、貴也は立ち上がった。帰るのだろうかと思ったが、ドアに向かう貴也は手に鞄を持ってはいない。
ガチャリ、ドアに鍵をかけ、貴也はくるりと振り向いた。
「1ヶ月分の思いに応えるにはまだまだ足りないだろ?」
貴也は笑いを含んだ声で言って、テーブルの上のチョコレートを口に含む。口の中でコロコロと転がし、僕をベッドに押し倒した。
「最初からがっつくなよ、獣みたいに」
「今はただ智輝がほしいだけだよ」
作品名:僕の居場所は君の隣(中) 作家名:瑠璃花