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奏でる音は低く響いて (サンプル)

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1.
 練習室が開放されている時間いっぱい、怜はヴィオラを弾いていた。
 他に数人の学生が残って練習していたけれど、他人の音が聞こえないくらい集中していた怜は、その男がすぐそばにその男が座ったことに気づけなかった。
 与えられた合奏曲のパートを弾き終えると、パチ、パチ、パチ、と気のない拍手が聞こえて顔を上げる。
「さっすが、高校時代にコンクール総なめしてた天才様、ってところか。こんなところで埋もれているなんてもったいない」
 いつからそこにいて怜の演奏を聞いていたのか分からない霧生に、怜は思わず眉を寄せた。一学年上の先輩の言葉は、嫌味だけではない何かを含んでいる気がした。けれど、怜にその意図を汲み取る意思はなくて、淡々と対応する。
「コンクールには興味がないので」
 テーブルに置いたヴィオラを、ケースに戻す。高校一年生の誕生日祝いに親からもらったヴィオラケースはほんの少し日焼けして、ヴィオラが傷つく代わりにたくさんの傷が付いている。
「ほんと、お前のその済ました顔、大嫌いだわ」
 嫉妬や羨望、敵意という感情は嫌と言うほど向けられていた。けれど、霧生が向けてくるそれは、今までに向けられた中にはなかった。
 他の後輩には一切見せていない、ゆがんだ表情が怜に向けられている。
「そうですか」
「いい加減、普通の大学生になること諦めたら? ヴィオラのない生活なんてお前に無理だよ」
「失礼します」
残っていた部員が二人きりだった練習室を出ると、丁度、部室から荷物を持ってきた友人を見つけた。
「練習はもう良いの?」
「ああ」
「今日もお疲れ」
 初めて出会った頃と変わらない、屈託ない笑顔で接してくる直樹に、怜はほっと安堵する。
 直樹は部室から取ってきた二人分の荷物のうち一つを怜は受け取った。
「じゃあ、帰ろっか」
 帰る方向が途中まで同じという理由で、サークルの練習がある日はいつも一緒に帰っている。怜にとって彼は、高校時代からの、唯一の友人だった。