赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (23)
会津若松市には東山温泉とは別に、かつては街場の芸者衆も居ました。
が、今はもうその数がめっきりと少なくなってしまっています。
常時芸者として出番を待機しているのは、実質的には
1人きりという状態です。
それが春奴お母さんのかつての戦友という、市奴その人です。
かつては街場の中にも置屋というものがありました。
粋なお姉さんたちが着飾って声が掛かるたびに、市内の料亭やお座敷へ
艶やかな姿で出張をしていきます。
こうした芸者衆の姿は、会津が誇る貴重な文化財と言っても
過言ではないようです。
事実、東北地方において芸者衆がこれだけの数で揃っているのは、
もはや会津の東山温泉だけという時代になっています。
芸妓衆たちは、芸事に励み、唄も踊りも三味線も
上手にこなし、季節ごとに、目出度さごとに、舞いなどを披露し
お座敷を盛り上げてくれます。
そうしたお座敷文化の担い手が、実は、いまや
風前の灯火に近い状態なのです。
昭和30年代。只見川における電源の開発事業が盛んだった頃には、
東山温泉においては、200名を超える芸者衆が居たと言われています。
夜毎大いに盛り上がり、小原庄助さんのような旦那衆たちが、
どんちゃん騒ぎなどを繰り返していたようです。
その芸者衆たちも徐々にその姿を消し、今ではもう、
わずかに、20名あまりを数えるに過ぎません。
商工会議所などを中心に、こうした貴重な
芸者衆たちの姿を残そうと、近年になってから『守る会』が
組織されています。
昼のお座敷や、女性だけの食事会などにも芸者さんが来て踊ってくれる
割烹のプランなどもあり、あの手この手を尽くして、何とかその
存続を図っているのがここでの現状そのものです。
衰退には、いろいろな要素が絡み合っているようです。
時代が変わり、芸者衆にお金を使うという気風が
失われたのも、その一つです。
景気が悪いこともあり、芸事に魅力を感じない人が
増えてきたこともその一つです。
魅力的な芸者さん(スター)が出てこないことにも、
原因があるようです。
衰退の傾向が続く中、これほどまでに複雑に絡んだ諸事情を
見事に解いて、「芸者さん」という美しい文化を、いきいきと後世に
伝えていくのは、やはり、簡単なことではないようです。
長年続いた正月や祝いの宴などに、芸者衆の華やかな踊りを
観れなくなることは正直やはり、どこかに寂しいものが
潜んでいるようです。
生き残れるのでしょうか、この先を会津の芸者衆は・・・・
顔をあわせた途端、いきなり戦友の市奴と春奴お母さんのあいだで、突然
そんな、暗い会話が始まってしまいました。
『お母さん。せっかくのお座敷ですから』と袖を引く豆奴に、春奴が
ようやくのことで、しんみりとし過ぎている事態に気がつきます。
「そうや。久しぶりのあんたと、
くだらない愚痴話に興じている場合やおまへんなぁ。
ようこそ。悲運の白虎隊と会津磐梯山の東山温泉へ、起こしやす。
この子かいな。あんたが育てる20年ぶりの新弟子っちうのは」
市奴と名乗る芸妓が、正面から清子を見据えます。
すでに年の頃なら60前後。いくらかの衰えてきた様子が窺えるものの、
外観からも物腰からも、常に凛とした風情が、市奴からは漂い続けています。
(あら・・・・確か。
こちらは、市左衛門さんと名乗るお母さんの戦友のはず・・・・
しかし、こうして拝見をすると、どこからどう見ても、
年季の入ったお姐さんです。
ということは、やはり、男性名を持った女性ということに
なるのかしら?)
艶っぽい目つきのまま、じっと市奴に見つめられている清子が、
何故か、即座の対応に戸惑いを見せています。
「どことなく、小春の若い頃によく似ているわねぇ。この子。
おや。あたしを見て、面食らっていますねぇ、
疑っているような目つきだもの。
鳩が豆鉄砲を食らったような目をしているねぇ。
あたしのことを、男か女か、戸惑っている様子だねぇ。
ははは。あたしゃ女じゃないよ、正真正銘の男だよ。
なんだい。事情を説明をしておいてくれなかったのかい。
それはまた、気の毒なことをしました。可哀想に」
しかし清子が見るかぎり、目の前にシャンと座っている市奴の姿は、
どこからどう見ても、品良く年を老いてきた、経験豊かな
芸妓にしか見えません。
市の口元が優しくニコリと微笑んだその瞬間、
『えっ!あたし以上に色っぽい!』などと、思わず清子が、その美しさに
背筋に身震いさえ覚えています。
「話すと長くなりますが、とりあえず、
道筋の整理をいたしましょう。
春奴姉さんはあたしが芸妓になる時に、大変に
お世話になった恩人と言えるお方です。
後を追うようにして湯西川へやってきた豆奴とは、
いわば、同期の桜です。
小春は事情があって、あたしが春奴姉さんからお預かりをした、
子飼いの芸妓です。
で、そのあたしが何故、春奴姐さんと戦友なのかというと、
いまから30数年前に、あたしの正体を男と知りながら
あえて共犯者になったためです。
あたしを、女以上の芸妓に育て上げるために、
努力をしたからに他なりません。
戦友というよりも、当時の鬼怒川の花柳界を見事にあざむいた、
首謀者と、共犯者という間柄になるのでしょうか?。
うふふ」
(24)へ、つづく
作品名:赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (23) 作家名:落合順平