濃霧の向こう側に手を伸ばして
「ねぇ武人、私お金あるから、武人は会社にいかなくてもいいよ?」
「何言ってんだ、お前は俺の何なんだよ」
思わず怪訝な視線を向けてしまう。彼女は少し怯んだ様子で息をのみ、それから「そうだよね」と自分に言い聞かせるように苦笑いを浮かべた。何かブツブツ呟いているのだが、何を言っているのか、食器を洗っている俺には全く聞こえない。
「そもそもさ、何で俺の事呼び捨てで呼んでんの」
「だって私の事だってキリって呼んでんでしょ」
「はぁ?!」俺は首をぐいっと後ろに捻って「キリがキリって呼べって言ったんだろ、俺は武人って呼べなんて言ってない」と強く言った。
「でも武人って呼んでも返事してくれるでしょ。なら武人でいいでしょ」
ひょうひょうと言う。暖簾に腕押し状態になるわけだ。何を言っても武人と呼ぶのだろう。俺はそれ以上何も言わなかった。
作品名:濃霧の向こう側に手を伸ばして 作家名:はち