ある字幕翻訳者の憂鬱
1941年10月 上海
達朗(28)は、年に数回の商用による上海訪問の用件をひとまず終え、翌日、帰途につく手はずになっていた。もう夕刻、そして、明日の朝は早い。じゃあ、ホテルに帰りさっさと寝てしまおうと思ったが、久しぶりの上海。数日前、到着してからずっと働きづめで、上海の観光を楽しむ時間など全くなかった。
だからせめて、今夜は、と思った。上海の夜の観光といえばジャズなどを奏でるナイトクラブだが、しかし、それは高過ぎると思った。ならば、映画館でもと思った。映画なんて、帰国して東京の浅草や銀座などで好きなだけ観られるものだが、上海の租界、西欧の国々が管轄するこの都市だからこそ観られる映画がある。日本では決して上映されない洋画だ。上映されても検閲で、かなり場面がカットされたり、内容が歪曲されたりするのだが、ここなら、当地で上映されているそのものが観られる。
達朗は映画、とりわけ洋画には常に関心があった。というのは、それを副業としてやっているからだ。本業は貿易の仕事だが、仕事の合間や休日を使い、洋画の字幕翻訳の仕事をしている。というのも、達朗は英語が達者。アメリカに留学経験がある。3年前までアメリカの大学生だった。父親が実業家で、商業を学ぶため渡米するように言い渡されたのだ。アメリカは西海岸、サンフランシスコの大学に通った。だが、卒業する前に父が他界、父の事業は借財を抱えていたため倒産したので学業を続けられず帰国。独り身となったが、自ら小さいながら貿易の事業を立ち上げた。しかし、儲けのある時もあれば、ないときもある。貿易業では生活はぎりぎりで苦しかった。そのうえ、所帯を持つようになり、お金がますます必要になった。
そんな時、自らの英語力と留学経験を活かさないかという仕事の誘いが、洋画を中心に上映する映画配給会社からあった。アメリカにいたときは、毎週のように映画を観に行っていた。西部劇やラブロマンスが大好きであった。帰国後も映画には、暇があれば通う。
趣味も活かせると思い、副業という形で引き受けることにしたのだ。映画も、無声で弁士がいて解説するような形から、音声がつくトーキーが主流になっている時代だ。洋画には、必ず画面上に会話の訳語を入れる字幕が必要になる。外国語を理解するだけでなく、その言葉の話されている国の文化や生活習慣などを理解しないといけない。それが、映画の字幕翻訳士に必要とされる技能だ。当時としては大変珍しい留学経験者だからこそ活かせる技能だ。
洋画といっても、最も多いのはアメリカからの映画だ。つまりはハリウッド映画だ。そんなアメリカに3年ほど過ごしていた達朗には、アメリカは外国とは思えない程、親しみを感じている。そして、そんな親しみを感じているほどアメリカを知っているからこそ心配なことが最近ある。それは、日本とアメリカが、近々、戦争するかもしれないということだ。
先月、アメリカは日本への石油の輸出を禁止した。それ以前にも両国は、様々な件でいがみ合いを繰り返していた。特に1931年の満州事変からだ。日本が中国への侵略を始めたことで、国際社会の日本に対する風当たりは日に日に強まっていった。アメリカは、孤立主義を装いながら、じわりじわりと日本に圧力をかけていた。
日本では軍部が台頭し、軍国主義が国全体を包み込み、内閣や議会が軍事勢力に支配されてしまっている。軍部はアメリカと戦争したがっている。国民世論も、そういう方向に流されている。実に危険な状態だ。
達朗は日本国民として憂慮し、何とか、日米が衝突して戦争するのを止めたかった。分かっての通り、日本がアメリカに戦争を挑んでも勝てるはずがない。国力が違い過ぎる。しかし、日本の軍部は精神主義者ばかりだ。神風の精神をもってすれば勝てると本気で思い込んでいる。実態を知らない大半の国民も、「窮鼠、猫を噛む」という心意気でアメリカへの戦争を躊躇せずと考えているほどだ。
何とか、そんな状況を打破する方法はないのか。精神主義だけでは勝てないということを知らしめる方法はないのか。いくら理屈で説明しても納得などしない。そもそも、連中は聞く耳さえ持たないのだ。
さて、そんな達朗の目の前に、あるハリウッド映画の看板が目に止まった。タイトルは「GONE WITH THE WIND」だ。「風と共に去っていった」という意味だ。長編でオールカラーの映画だという。ほう、それは見応えがありそうだと思った。よし、ここにしようと決めた。丁度、上映が始まる時間だ。
映画の内容は、アメリカは19世紀中頃、南北戦争前後の時代の南部はジョージア州が舞台だ。奴隷制による綿花栽培などの農園事業で繁栄した農場主の娘、スカーレット・オハラが主人公。スカーレットは、気が強いがわがままなお嬢様として何の不自由もなく日々を過ごしていたが、奴隷解放を掲げた北部の連邦政府が宣戦布告したため戦争が勃発。若者は戦場へ。南部は勝てると人々は信じていたが、結果は、圧倒的な火力を持つ北軍に敗北。ジョージア州の州都アトランタにいたスカーレットは戦禍を逃れて家路についたものの、一家の農園は、奴隷が逃げ荒れ放題に。
スカーレットは荒れ果てた農園を建て直そうとするため女だてらに事業を始める。レット・バトラーという男に惹かれ結婚するが、かねてから恋する男、アシュレーへの想いも忘れられない。しかし、アシュレーは別の女性と所帯を持っている。そんな想いを抱き続けるスカーレットにレットは嫌気が差す。そして、最愛の娘を事故で失い、アシュレーの妻が死んだ後、レットはスカーレットに愛想を尽かし、去っていってしまう。
スカーレットは、自らのレットへの愛に気付き悲嘆にくれるが、持ち前の気力で自らを奮い立たせようとする。最後にこんな台詞を言う。
"After all, tomorrow is another day."
美しい映像とスケールの大きさに感動し通しだった。
映画館を出た達朗は思いついた。よし、これだ。この映画を見せればいいのだ。
帰国したら、すぐにでも、この映画を公開できるように取り計ろう。
東京に帰った達朗は、自分を字幕翻訳者として雇ってくれている洋画配給会社の社長にGONE WITH THE WINDのことについて話した。
「ああ、その映画なら去年だったかな。うちにも配給の話しがあってな、君の前の翻訳者にフィルムを見て貰ったんだよ。だけどな、彼の話によると、当ご時世では上映は無理だという結論に達したんだよ。君も見たのなら分かるだろうけど、どうせ検閲ではねられるに決まっている」
とあっさりと答えた。
やはりそうか。確かに、内容は戦争批判の側面が多い。自由の国で、まだ戦争をしていないアメリカだからこそ、作れた内容なのだ。
「そこを何とかなりませんか、何とかアメリカからフィルムを取り寄せて」
「とは言ってもな、ただフィルムならまだ保存しているよ。どうせ上映は無理だから返そうと思ってはいたんだが、いろいろあって返しそこねてな」
そりょいいと達朗は思った。
達朗(28)は、年に数回の商用による上海訪問の用件をひとまず終え、翌日、帰途につく手はずになっていた。もう夕刻、そして、明日の朝は早い。じゃあ、ホテルに帰りさっさと寝てしまおうと思ったが、久しぶりの上海。数日前、到着してからずっと働きづめで、上海の観光を楽しむ時間など全くなかった。
だからせめて、今夜は、と思った。上海の夜の観光といえばジャズなどを奏でるナイトクラブだが、しかし、それは高過ぎると思った。ならば、映画館でもと思った。映画なんて、帰国して東京の浅草や銀座などで好きなだけ観られるものだが、上海の租界、西欧の国々が管轄するこの都市だからこそ観られる映画がある。日本では決して上映されない洋画だ。上映されても検閲で、かなり場面がカットされたり、内容が歪曲されたりするのだが、ここなら、当地で上映されているそのものが観られる。
達朗は映画、とりわけ洋画には常に関心があった。というのは、それを副業としてやっているからだ。本業は貿易の仕事だが、仕事の合間や休日を使い、洋画の字幕翻訳の仕事をしている。というのも、達朗は英語が達者。アメリカに留学経験がある。3年前までアメリカの大学生だった。父親が実業家で、商業を学ぶため渡米するように言い渡されたのだ。アメリカは西海岸、サンフランシスコの大学に通った。だが、卒業する前に父が他界、父の事業は借財を抱えていたため倒産したので学業を続けられず帰国。独り身となったが、自ら小さいながら貿易の事業を立ち上げた。しかし、儲けのある時もあれば、ないときもある。貿易業では生活はぎりぎりで苦しかった。そのうえ、所帯を持つようになり、お金がますます必要になった。
そんな時、自らの英語力と留学経験を活かさないかという仕事の誘いが、洋画を中心に上映する映画配給会社からあった。アメリカにいたときは、毎週のように映画を観に行っていた。西部劇やラブロマンスが大好きであった。帰国後も映画には、暇があれば通う。
趣味も活かせると思い、副業という形で引き受けることにしたのだ。映画も、無声で弁士がいて解説するような形から、音声がつくトーキーが主流になっている時代だ。洋画には、必ず画面上に会話の訳語を入れる字幕が必要になる。外国語を理解するだけでなく、その言葉の話されている国の文化や生活習慣などを理解しないといけない。それが、映画の字幕翻訳士に必要とされる技能だ。当時としては大変珍しい留学経験者だからこそ活かせる技能だ。
洋画といっても、最も多いのはアメリカからの映画だ。つまりはハリウッド映画だ。そんなアメリカに3年ほど過ごしていた達朗には、アメリカは外国とは思えない程、親しみを感じている。そして、そんな親しみを感じているほどアメリカを知っているからこそ心配なことが最近ある。それは、日本とアメリカが、近々、戦争するかもしれないということだ。
先月、アメリカは日本への石油の輸出を禁止した。それ以前にも両国は、様々な件でいがみ合いを繰り返していた。特に1931年の満州事変からだ。日本が中国への侵略を始めたことで、国際社会の日本に対する風当たりは日に日に強まっていった。アメリカは、孤立主義を装いながら、じわりじわりと日本に圧力をかけていた。
日本では軍部が台頭し、軍国主義が国全体を包み込み、内閣や議会が軍事勢力に支配されてしまっている。軍部はアメリカと戦争したがっている。国民世論も、そういう方向に流されている。実に危険な状態だ。
達朗は日本国民として憂慮し、何とか、日米が衝突して戦争するのを止めたかった。分かっての通り、日本がアメリカに戦争を挑んでも勝てるはずがない。国力が違い過ぎる。しかし、日本の軍部は精神主義者ばかりだ。神風の精神をもってすれば勝てると本気で思い込んでいる。実態を知らない大半の国民も、「窮鼠、猫を噛む」という心意気でアメリカへの戦争を躊躇せずと考えているほどだ。
何とか、そんな状況を打破する方法はないのか。精神主義だけでは勝てないということを知らしめる方法はないのか。いくら理屈で説明しても納得などしない。そもそも、連中は聞く耳さえ持たないのだ。
さて、そんな達朗の目の前に、あるハリウッド映画の看板が目に止まった。タイトルは「GONE WITH THE WIND」だ。「風と共に去っていった」という意味だ。長編でオールカラーの映画だという。ほう、それは見応えがありそうだと思った。よし、ここにしようと決めた。丁度、上映が始まる時間だ。
映画の内容は、アメリカは19世紀中頃、南北戦争前後の時代の南部はジョージア州が舞台だ。奴隷制による綿花栽培などの農園事業で繁栄した農場主の娘、スカーレット・オハラが主人公。スカーレットは、気が強いがわがままなお嬢様として何の不自由もなく日々を過ごしていたが、奴隷解放を掲げた北部の連邦政府が宣戦布告したため戦争が勃発。若者は戦場へ。南部は勝てると人々は信じていたが、結果は、圧倒的な火力を持つ北軍に敗北。ジョージア州の州都アトランタにいたスカーレットは戦禍を逃れて家路についたものの、一家の農園は、奴隷が逃げ荒れ放題に。
スカーレットは荒れ果てた農園を建て直そうとするため女だてらに事業を始める。レット・バトラーという男に惹かれ結婚するが、かねてから恋する男、アシュレーへの想いも忘れられない。しかし、アシュレーは別の女性と所帯を持っている。そんな想いを抱き続けるスカーレットにレットは嫌気が差す。そして、最愛の娘を事故で失い、アシュレーの妻が死んだ後、レットはスカーレットに愛想を尽かし、去っていってしまう。
スカーレットは、自らのレットへの愛に気付き悲嘆にくれるが、持ち前の気力で自らを奮い立たせようとする。最後にこんな台詞を言う。
"After all, tomorrow is another day."
美しい映像とスケールの大きさに感動し通しだった。
映画館を出た達朗は思いついた。よし、これだ。この映画を見せればいいのだ。
帰国したら、すぐにでも、この映画を公開できるように取り計ろう。
東京に帰った達朗は、自分を字幕翻訳者として雇ってくれている洋画配給会社の社長にGONE WITH THE WINDのことについて話した。
「ああ、その映画なら去年だったかな。うちにも配給の話しがあってな、君の前の翻訳者にフィルムを見て貰ったんだよ。だけどな、彼の話によると、当ご時世では上映は無理だという結論に達したんだよ。君も見たのなら分かるだろうけど、どうせ検閲ではねられるに決まっている」
とあっさりと答えた。
やはりそうか。確かに、内容は戦争批判の側面が多い。自由の国で、まだ戦争をしていないアメリカだからこそ、作れた内容なのだ。
「そこを何とかなりませんか、何とかアメリカからフィルムを取り寄せて」
「とは言ってもな、ただフィルムならまだ保存しているよ。どうせ上映は無理だから返そうと思ってはいたんだが、いろいろあって返しそこねてな」
そりょいいと達朗は思った。
作品名:ある字幕翻訳者の憂鬱 作家名:かいかた・まさし