赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (12)
隣接する体育館で、平家絵巻行列に参加する人たちの身支度が整うと、
湯殿山神社の境内で、出陣のための儀式が始まります。
行列の無事を祈願するため、赤間神宮から由来したと言われている
『祓神楽(はらえかぐら)』の奉納から、儀式の幕があきます。
祓神楽は、下関の海に面して建っている
赤間神宮の「舞楽始め」の儀礼です。
神職に身を捧げる巫女たちによって奉納をされる演目の一つです。
1月2日に行われる舞楽始めにおいて、平家にちなんだ
「浦安の舞」・「抜頭」・「祓神楽」の3つが、拝殿内の舞台で
参拝者たちに粛々と披露されます。
赤間神社独自の舞といわれている『祓神楽』が、
遠く離れた平家落人の里で地元から選ばれた巫女によって、
再現をされていきます。
調子の早い笛と太鼓に合わせ、白い小袖に緋色の袴を履き、鈴と御幣を
手にした巫女たちが、くるくると右と左に交互に旋回をしながら
舞いを演じ始めます。
おさげ髪の清子は、髪の長さを足すために髢(かもじ)を使用しています。
(※髢(かもじ・髪文字)とは、髪を結ったり垂らしたりする場合に、
地毛の足りない部分を補うための添え髪・義髪のこと)
「清子。晴れ舞台の出番や。たっぷりと楽しんでおいで」
豊春にポンと背中を押された清子が、背筋を一度伸ばします。
唇を小さくつぼめ、背中を伸ばした姿勢のまま、腹部に溜まっていた空気を
ゆっくりとしたテンポを維持したまま、しっかりと最後まで吐き切ります。
すべての息を吐き終わった瞬間、唇を閉じ、今度は鼻孔を
大きく開けていきます。
ゆっくりとしたテンポを保ったまま、胸を反らし、腹部の一番奥まで
たっぷりと、新鮮な空気を送り込んでいきます。
清子の背筋の美しさと、袴を身につけた瞬間からたちのぼってくる
凛とした初々しさは、幼い時からはじめた剣道に由来をしています。
独特のこの呼吸方法は『常に空気を吐きながら、相手に剣を打ち込む』
という、剣道の練習方法から、自然と
身についてきたものです。
「はい。人生初めての晴れの舞台です」
コクリと生唾を呑み込んだ清子が、
シャン、シャンと手にした鈴を2度鳴らしてから、緋色の裾を翻し、
その1歩目を静かな境内へ踏み出していきます。
大勢の見物人とカメラマンを引き連れて、平家絵巻行列が
境内を出発するのは午前11時。
ここから、清子の予想を遥かに超えた、きわめて長い一日が
幕を開けます・・・・
壇ノ浦の戦いから数えて、827年。
平清盛といにしえの歴史を今に伝えるこの祭りは、清子自身が最初から
覚悟していた以上の試練を、充分なまでに小さな身体に与えます。
鎧甲姿の平清盛や重盛をはじめとする男たちが、まず先頭を練り歩きます。
勇壮な男たちの武者行列に続いて、平安時代の旅装束スタイルの
小袿(こうちぎ)に市女笠(いちめがさ)姿の女人行列が、つき従います。
とりわけ、九十九姫物語にちなんだ女人たちの華やかな行列が、
沿道の人の目を引きます。
公募による99人の女性たちが小袖に市女笠姿で、湯殿山神社から
平家の里までの道を踊りも交え、優雅にゆったりと
艶をふりまきながら歩きます。
温泉街を行列が進んだあと、
中程で、稚児行列が最初の休憩をとります。
本隊はそのまま進み、湯西川の河原で合戦の陣形を張ります。
小休止をとりつつ、一部で剣劇を含んだ野外合戦などが再現を
されていきます。
野外劇と休憩がそれぞれに終えたあと、
再び行列が合流を果たし、平家の里を目指します。
門をくぐり、平家の里の中を進み奥にある赤間神宮へ到着したところで
絢爛を極めた絵巻行列が、ようやくここで終了をします。
しかし巫女役をつとめている清子の仕事は、簡単には終わりません。
凱旋式が始まると、まず巫女による神事が繰り広げられます。
鈴と御幣を持ち、ゆるやかに5回転ほど舞った後、御幣をそれぞれの
参拝者の頭にかざしていきます。
この頃になると、清子もさすがに疲労と緊張感のピークを迎えています。
多数のカメラマンたちを引き連れ、本人もほとんど虚ろな状態ながらも、
最後の神事の舞いもどうやら無事に、舞い収めます。
ようやく今日の大役を終わろうとしているときに、ささいな
手違いが発生をします。
『喉が乾いた』という清子の
ひとことが、やがて大騒動を勃発してしまいます。
舞台の主役が代わり白拍子たちが優雅な舞を披露する頃には、
すでに真っ青と化している清子の介抱のために、春奴一門の芸妓たちが、
てんやわんやの大騒動を境内でくり広げています。
「誰やぁ。間違えて清子に酒を飲ませてしまったのは!」
「仕方ないやろ。喉が渇いたと大騒ぎをするんだもの。清子が悪いんやぁ」
「この子が、最初から最後まで、緊張をし過ぎたのが間違いの原因や。
いくら初舞台だと言うても、ここまで緊張をし過ぎなくてもいいものを。
ほんまに力の抜けない、不器用者やなぁ、この子は」
「いいから、そっちを持って。
もう面倒くさいから、このまま担いでウチまで持って帰ろうか」
「あんた。おんぶしてやりよ。体力だけはウチの門下では一番だもの」
「でも綺麗やったで、この子。ウチ、久々に感動を覚えたわ。
誠心誠意、最初から最後まで巫女の役目に徹するなんて、案外に
熱い気持ちを持っているねぇ、この子」
「阿呆なこと言わんといて。ただの、加減知らずの粗忽者や。
芸子がひとつの仕事を終わるたびに、いちいち酒を飲んで倒れていたんでは、
絶対に、商売になんかならへん。
もう少し根本的に、酒を強くさせる必要があるわ」
「アホなことをいわんといて。
15の子に、酒の特訓をさせてどうすんのさ。良識が疑われるわ」
「そう言わんと、頑張ったんだから、褒めてあげてな。
何もできないくせに、根性だけで乗り切るとは、
子供ながらに大したもんや。
物覚えの悪い亀のような子やけど、可愛いとこも案外とあるやん。
早よ行こう。余計な写真を撮られんうちに、
この子の醜態ぶりを隠さなあかんで。
こんな倒れたところの、みっともない証拠写真なんかを残しておいたら、
この子が、面目丸つぶれで、可哀想やないか」
(13)へ、つづく
作品名:赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (12) 作家名:落合順平