赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (7)
20年ほど前に最後の芸妓を育てあげて以降、春奴は
たったひとりで置屋と現役の芸妓という二重の生活を続けてきました。
置屋での共同生活を終え、晴れて独立を果たした多くの芸妓は
自活の道に入ります。しかし、置屋や長いあいだ寝食をともにした
お母さんとの縁が切れた訳ではなく、その後も、修行時代からの
師弟関係は連綿として続きます。
まもなく芸歴が50年を迎える春奴が、育て上げてきた
芸妓の数は全部で6人です。
1番弟子にあたる豆奴は、辰巳芸者時代の妹芸妓にあたります。
深川から湯西川温泉へ春奴が移る際、妹芸妓は勝手にあとをついてきました。
花柳界における姉妹の契は、実世間以上に終生にわたる絆となります。
春奴の『奴』は、辰巳芸者時代の名残です。
『春』が、春奴の湯西川に来てからの屋号の文字にあたります。
従って、勝手にあとをついてきた一番弟子の豆奴だけを例外とし、
あとの5人には春の1文字が、それぞれの名前に譲られていきます。
小春、千春、美春、佳春と順に続いて、最後にあたる6人目の芸妓が、
お座敷舞の名手と呼ばれている、豊春です。
20年ぶりになる新人清子の、舞の師匠に指名されたがこの豊春です。
「責任は重大です。
春奴お母さんのためにも、清子を立派に、一人前に仕込みたいと思います。
この子の座る姿勢は、背筋がシャンと伸びていて大変によろしいのですが、
覚えるのは、どうやら人一倍に遅いものがあるようです・・・・。
踊る姿に、華というものが見えません。
細すぎますので、まるで針金が着物を着て踊っているような有様です」
「チャラチャラした舞を適当に覚えるよりは、遥かによいでしょう。
そう言うあんただって、人一倍、物覚えは遅かったように
記憶をしています。
そのことがあなたを、姉妹の中で一番の舞の名手に成長させました。
細いのは、ご飯をたくさん食べさせますので、
そのうちに、まぁなんとかなるでしょう」
「なんとかなるって、お母さん。
適当に言わないでくださいな、ウチが困ります・・・・」
「万事頼みましたよ。お前様に。
京都の舞妓や祇園の芸妓じゃあるまいし、お座敷で着飾って、
チャラチャラとした舞ばかりを、際限もなく披露をしてどうすんのさ。
あんなのは、観光用の見え透いたデモンストレーションです。
ピシッと乙に構えて、研ぎ澄まされた少ない所作の中で、最大限の
女の美しさというものを表現するのが、関東芸者の心意気と、
お座敷舞の真髄です。
10年かかろうが、20年かかろうが、
清子をあんた以上のお座敷舞の名手に育ててくれれば
あたしはそれで、それ以上、何も言いません」
「そんなぁ。
あたしだって忙しいんですよ、お母さん。
物覚えの悪い清子にばかり、いつまでも構ってなんかいられません!」
「おや。ついこのあいだ例の銀行マンとは別れたと、風の噂に聞きました。
なんだい。もう次の男をとっとと見つけ出したのかい、おまえっ。
忙しいねぇ、お前も。舞は上手だというのに、
肝心なところで男の扱いが、大雑把で詰めが甘すぎるから、
毎度のように、長続きがしないのさ」
「独り身で過ごしているお母さんに、とやかく言われたくはありません」
「まぁまぁそう言いなさんな。とにかく万事を頼みましたよ。
じゃ、あたしは急に用事を思い出しましたから、これで失礼をするよ。
新しい男に、くれぐれもよろしくね。頼んだよ、清子の舞の稽古のことは。
じゃね。ああ・・・・忙しい、忙しい」
「お母さん。お母さんったら!。あ~あ、行っちゃったぁ」
豊春が褒めていたのは、清子が正座をした時の美しい姿勢です。
両足の甲をきちんと床に付け、両方の親指を揃え、綺麗に上を向いた
土踏まずの空間の上に、清子の丸いお尻がまるで注文をしたかのように、
すっぽりとして収まります。
そのまま背筋を伸ばし膝に両手を添えると、凛とした清子の
正座が完成します。
『でもねぇ。座る姿はピカイチの自然体なのに・・・・
肝心の、舞の振りになると、カラッキシだめなのよ。
座った姿だけ見れば、身震いするほど綺麗だというのに、ねぇ・・・・』
と、事あるたびに、豊春がこぼしています・・・
(8)へ、つづく
作品名:赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (7) 作家名:落合順平