回想と抒情
花火
大学時代、サークルや下宿やバイト先など、様々なところでトラブルを起こし、神経衰弱になって実家に帰ってきたことがあった。私は、冷帯に生えたヤシの木のように、自らの組成と環境との調和を図ることに失敗した。私には世の中の決まりごとに屈しない反骨精神があり、それが世の中の決まりごとと衝突し、その割には柔弱な肌を持っていたので無意味に大量に傷ついた。そのときは夏で、私は心の苦しさからせめて楽しいことをやろうと花火を買ってきたのだった。妹は当時10歳だった。内気で控えめな女の子だった。私は妹と共に夜の軒先に出て、手の先で激しく燃えるものから、打ち上げるもの、そして控えめに燃える線香花火などを、一体となった心情で楽しんだ。当時、私と妹を隔てるものは何もなかった。花火を楽しむ私と妹は、その楽しみを共有し、私はそのとき判然と妹を愛していることに気付いた。――Aよ、いずれお前も世の中に出る。そのときお前は波間をうまく泳いでいけ。他人の悪意の慰み者になるな。それ以前に他人の悪意を誘うな。――私は妹のことが心配だった。
それから13年が経つ。妹は立派な大人の女性になり、働き始めた。妹は自分の下着を自分のネットに入れて洗うようになり、妹の部屋に入ることは何となく絶対的に禁じられ、妹には恋人もできた。私と妹の間にはいつしか隔たりが出来上がってしまい、妹は私と込み入った話をすることを避けるようになった。だが私は知っている、妹の心の中にも青春の波乱が潜んでいることを。挫折や悩み事、感情の劇に翻弄されていることを。今は遠くなってしまった妹と、私は花火の記憶でもってまだつながっているように思うのだ。あのときの私の青春の苦悩を妹は今まさに引き継いでいるようにも思われるし、あのとき私が悟った妹への愛も、いつまでも生き続けている。私の青春の苦悩は、形を変えて今の妹の中に回帰し、それは血を分けた者同士の苦悩だから、妹の苦悩を私自身も共に感じているかのように思えるのである。真夏の暗闇の中、花火はとてもきれいで、兄妹の笑顔もまた照応していた。あの花火は青春そのもの、愛そのものとして、今も私と妹の中に生き続けている。