火事奇談
俺には紫紺(しこん)という五つも年が離れた姉が一人いて、二階の二部屋は俺と姉が使っていた。俺は寒かったり雷がなったりして心細くなると、枕を抱えて姉の部屋に行くことがしょっちゅうあった。けれどその日はそれぞれの部屋で寝ていたんだ。
ある寒い夜。俺はすでに布団の中でうとうとまどろんでいた。ところが、突然の息苦しさと立ちこめる煙の臭いで目が覚めたんだ。
部屋の中は真っ暗だったからしばらくの間は何が起こったのか分からなかった。でもしだいに大変なことが起こっていることに気付いた。
窓の外がうっすら赤い色に染まっていて、カーテン越しにオレンジ色の炎がめらめらと動いているのが見えたから。
父の叫ぶ声が聞こえた。
「シコン……! コウタロウ……!」
俺と姉の名をどこからか呼んでいる。俺は逃げる前に姉の部屋に行こうと思った。
姉を守らなければ……! 幼い俺は、派手で強引だが何だかんだ言って姉のことが大好きだった。
俺は急いで廊下につづくドアを開けようとした。が、ドアを少し開けた瞬間、たちまちとんでもない量の煙と熱風が部屋に入り込んで来た。
俺は思わず立ちすくんだ。そして煙のせいか、心細さのせいか、はたまた姉を助けられない己の不甲斐無さが情けなくなったのか、涙が溢れてきた。その時、
『光(こう)ちゃん! 光太郎ちゃん!』
姉の声が聞こえた。俺は急いでドアを開けた。だが、俺はまた固まってしまった。
ところが俺は再び立ちすくんでしまったんだ。そこには姉が二人、立っていたからだ。
『光太郎ちゃん、何をしているの、ほらこっちよ、早く!』
一方の姉が俺の左腕をつかんで、階段の下の方へ引っ張って行こうとした。
『何をしているの、光太郎ちゃん、早く、こっちよ!』
もう一方の姉は俺の右腕をつかんでジブンの部屋の方へ連れて行こうとした。そちらの姉の手は冷たくなかったけれど、左手の姉よりもさらに強く俺の腕をつかんだ。姉はお互いが見えていないらしい。
俺はどうしたらいいのか、戸惑いと恐ろしさで頭の中は真っ白だった。
ベランダがあって畑に面している姉の部屋の方が安全そうに思えたが、今なら階段も炎を振り切って下に降りることができそうだった。
『どうしたの、急いで!』
二人の姉が同時に叫んだ。
俺は、俺の直感は、何故か手が冷たく感じた、左手を引っ張る姉の方を選んだ。そして右腕を掴む姉を振り切り、左手の姉と一緒に階段を駆け降りて行った。
駆け降りながら、俺はやっぱりもう一人の姉が気になって、振り返ってみた。
するとそこには、オレンジ色を背景に煙のむこうで恐ろしい形相で俺を睨んでいる姉が見えた。
姉の部屋の方から噴き出して来る炎の中で、次第にミイラのような顔に変化していく。焼けただれて生皮が剥げ落ちた顔で、にやりと笑うったのをよく覚えている。そのミイラババアは、骨だけになった指をこちらに突き出したまま、炎の中に消えていった……。
前を向くと、父と母がこちらに向かって来た。俺達は助かったのだ……。