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爆弾低気圧

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爆弾低気圧


関東地方沖に爆弾低気圧が接近し、それが八丈島の北側を通過すると雨が降るのだが、南側を通過したので大雪を降らせた。

爆弾発言ということばは聞いたことがあるが、爆弾低気圧というのは初めて耳にすることばだった。これは大変なことになるぞ、と戦慄を覚えた人は少なくないだろう。

イスラム圏では、最近でも爆弾テロが多くの人の命を奪っている。そのようなニュースは、日本に生まれて良かったと思わせる。

爆弾という武器が最も多く使われるのは、戦争に於いてである。映画「7月4日に生まれて」を、私が観たのは数日前のことだった。「共産主義に勝つため」に、アメリカ人の若者ロン・コーヴィックはベトナムへ送られて戦った。ロンは負傷して半身不随になり、帰還した彼は反戦運動に参加するようになる。

最も恐ろしい爆弾として、忘れることが不可能な原子爆弾は、一日も早く地球上から姿を消してもらいたいものだが、北朝鮮などでは核実験が今後も行われることが予想されている。

私が幼い頃は通称「爆弾」という菓子があった。筒状の圧力釜に生の米などを入れ蓋をして回転させながら加熱する。釜の中が十分に加圧されたら、圧力釜のバルブをハンマーで叩いて蓋を解放し、一気に減圧する。この時、原料内部の水分が急激に膨張し、激しい爆裂音を伴いながら釜から内容物が勢い良くはじけ出る。ポン菓子とも呼ばれるこれは、ポップコーンにも似て、サクサクと軽い食感が魅力だった。

話を爆弾低気圧に戻そう。前回の関東地方での大雪は十年以上も前のことだというが、五十年も前に遡ると毎年のように大雪が降っていたような気がする。私が小学生の頃は雪が降ると裏庭に高さ一メートル半の小山を雪で作り、その斜面を手製のブリキ製のスキーで何度も滑りおりたものだった。

今年の成人式の日は大雪で可哀想だったが、私が山歩きをしていたのも二十歳前後の頃だった。私は勤め先の仲間と五月初頭に山梨県の南アルプスの北岳の麓まで行ったことがある。その年は豪雪があり、五月になっても日本第二の高峰は大量の雪に覆われていた。登山口の広河原まで行って北岳登山を断念し、登山口へ「来ただけ」で引き返した。

最後は雪のせいで死にかけた話である。やはり二十歳の頃、私は勤め先のマンドリンアンサンブルのメンバーだった。大雪の三日後だった。三多摩合奏祭に参加することになり、その二週間ほど前に奥多摩にある合宿所へ車で向かった。私は助手席に座り、運転していたのはマンドリンアンサンブルのリーダーだった。山間に入ると三日前の雪が道路脇に高く積まれていた。
午後六時前だった。前方の道が急な下りになり、そして急カーブだった。ヘッドライトは道路脇の白い雪の壁を照らしていた。その眩さが黒い道路にそのままくっきりと逆さに映っている。日中は雪解けの水が道路上を流れていたらしいのだが、夕方になって凍結し、路面は鏡のようなスケートリンク同様の状態になっていたのである。
ブレーキを踏んでも止まる気配さえなかった。車はスピンを始めた。一回、二回、三回と、車は急坂を回転しながら滑りおりて行った。フロントグラスの向こうを雪の壁が何度も高速で通過し、眼が回るようだった。
「死ぬぞ、覚悟しろ!」
 と、リーダーは叫んだ。その直後、大音響と共に強烈な衝撃があり、車は停止した。
 暫くの放心状態のあと、ドアが開かないので運転席側のドアから外に出てみると、助手席のドアが一本の鉄の棒に衝突して大きく凹んでいた。棒の下は高さ三十メートルの崖だった。一本の鉄の棒が車の転落を阻み、私はリーダーと共に命拾いをしたのだった。
 あのときは確かに「覚悟」したような気がする。だが、その後随分長い時間を、生き抜いてしまった。

              了

作品名:爆弾低気圧 作家名:マナーモード