[掌編]帰り道
学校からの帰り道。
隣を歩いている篠原さんが手袋に包んだ手を握りしめながら呟いた。
「そうだね、さむいね・・・」
他に返す言葉も浮かばなくて、僕はオウム返しにそう言って、誤魔化すように篠原さんに向かって笑いかけた。
一歩歩くごとに、足下の雪がざくざくと音を立てて軋む。
「雪が降るなんてねぇ~。今年はじめてだね~」
寒さにちょっと上ずった声音で、語尾を伸ばす篠原さんはかわいかった。
僕は相変わらず曖昧な笑顔を浮かべながら、
「そうですねぇ」
と返すほかない。
それきり二人とも特になにを話すでもなく、慣れない雪道に足をとられないよう、いつもよりかは慎重に足を進めていく。
今日は朝からいつになく冷え込んでいた。
家の玄関を出て、土の地面を踏みしめたとき、ざくっ、と小気味いい音を立てて霜柱が割れたのを覚えている。
空では太陽が雲に覆われて、眠たげな空気が蔓延していた。
加えて、午前の授業の退屈さ。僕はお昼前の授業、三時間目にはついうとうととまどろんでしまっていた。
そんな折、僕の目を覚まさせたのは、いまこうして隣を歩いている篠原さんの一声だった。
「ああ! 雪が降ってる!」
授業中だというのに、誰憚ることなく、突然席から立ち上がって窓の外を指さし、ひらひらと舞う白い雪片を輝かしき笑顔で見つめていた。
僕は机に突っ伏していた頭をもたげて、彼女の指さす雪を見つめていた。
停滞していた教室中の空気がにわかにざわめきだすのがわかった。
それはまるで、半ば諦めつつも待ち望んでいたものが、ようやくやってきたというような、春の訪れとも似たざわめきだった。
「雪だというのに春もない、か」
気付くと口に出していた。
隣を歩いていた篠原さんが怪訝そうな顔をして、こちらを見つめている。
僕は懲りずに、誤魔化し笑いを浮かべて、篠原さんの訝しみから顔を逸らした。
するとしばらく無言だった後に、
「そうだね~、雪も降ったら、つぎには溶けて春になるのを待つばかりだね」
そう言って楽しげに歩道脇の塀に積もっていた雪を手にすくった。
ちょうどおにぎりでも握るような手つきで、でも手袋に覆われて幾分厚ぼったい手許で、ぎゅ、ぎゅ、と力を込めて雪玉を作る。
まさか、と思いつつそれを静観していた僕の顔に、篠原さんは至近距離でそれを投げつけた。
力を込めて握られた雪玉はそこそこに固くて、寒気に強ばっていた頬の皮膚にひりひりと痛みを残した。
僕が頬についた雪を拭いつつ、不平を漏らすと、篠原さんは幼い子供のようにきゃっきゃと嬉しそうにはしゃいで、すぐに次の雪玉を作った。
僕も負けじと雪玉を作ってみるけれど、いざ篠原さんに向かって投げつけるとなると、些かも躊躇われて、その間に容赦のない篠原さんの雪玉が再び僕の顔面を襲った。
少しだけ口の中に入って、一瞬の冷たさの後に、微かな苦みを感じた。
「顔に当てるのはやめてよ」
そう言って顔を両手で覆いながら僕は篠原さんから逃げるように背を向ける。
相変わらず年齢に不相応なはしゃぎっぷりで僕に追いすがると、雪に足を取られて鈍い足取りの僕の背中に次々と雪玉をぶつけていく。
どうにも逃げられそうにないな、と思いつつ、何気なく振り返ってみると、ちょうどそのとき、危なげに篠原さんの身体が傾くのが目に入った。
あっ、と声を上げる暇もなく、どしゃりと音を立てて雪の上に尻餅をつく篠原さん。
「痛たた・・・」
言いながらも、相変わらずどこか楽しげなのは、呆れると同時に、やっぱりちょっと微笑ましい。
慌てて駆け寄って、だいじょうぶ? と声を掛けつつ手を差し伸べると、素直にその手を篠原さんは握った。
と、まずいな。と思った。
篠原さんの口元が、無邪気で意地悪な形に歪んだからだ。
ふわっ、と身体が浮いて、靴底が地面の上をなめらかに滑っていくのがわかる。
近づいていく篠原さんの身体。
頭の中は真っ白で、もうどうしようもなく体勢を整える暇もない。
そのままどさりと彼女の身体の上に倒れ込んで、その瞬間温かな体温が僕の顔を包んだ。
衝撃と困惑にうろたえていると、すぐ近くからまたあの楽しそうな笑い声が聞こえた。
どうにか地面に手をついて起き上がると、篠原さんが、
「うかつだぞっ」
そう言って得意げに指を突きつけてくる。
僕は身体についた雪を払い落として、早くなった心臓の鼓動をどうにか静めようと苦心していた。
「あぶないよ、もう」
とにかくそれだけ照れ隠しに言って、未だに地面に座ったままの篠原さんにもう一度手を差し伸べる。
「ありがとっ」
篠原さんはその手を握って、今度こそちゃんと立ち上がる。
のんきにあはは、と笑いながら上着とスカートをはたいている。
「あちゃ、お尻ぬれちゃった。つめたいな」
それはあれだけ地面に座っていたら、雪も溶けるだろうな、と思いつつ、彼女を待っていると、不意に篠原さんは僕の顔をのぞき込んだ。
相変わらずにこにこしながらじっと見つめてきて、僕は居心地がわるくなってしまった。
「ど、どうしたの? はやく行こうよ」
そう言って篠原さんの視線から逃げるように前を向くと、突然、僕の手が何かに包まれた。
少なからず驚いて、びくりと肩を震わせる僕を余所に、見ると篠原さんの手が僕の手を握っていた。
たちすくんで動けなくなっている僕の身体を、篠原さんが引っ張る。
篠原さんの背中を見ると、なるほど、先ほど言っていたようにスカートが雪どけに濡れていた。
「篠原さん、ホントにお尻ぬれてるね」
と思わず僕が言うと、
「でしょー? つめたいんだよー」
振り返って、さも困ったような表情をしつつ笑顔を浮かべる。
僕が彼女の隣に追いついて、歩いても、握られた手はそのままだった。
足下でざくざくと雪が音を立てて軋み、僕たちは家に帰っていく。