ボールペン
結衣はもう一列向こうのデスクに向かう先輩の背中をチラッと見る。先輩は今日も残業の様だ。カタカタとキーボードを打つ音だけがオフィスに響く。気付けば私と先輩の他に誰もいない。
先輩はもともと無口で、社内でも仕事の話くらいしかしないんじゃないかと結衣はいつも思っていた。結衣自身、入社してかなり経ってから先輩の存在に気付いたくらいだった。
あの日もこんな風に2人きりだった。結衣は小腹が空いて、ゴソゴソと鞄からチョコレートを取り出した。
あまり先輩とは話したこと無かったけど、先輩に「お一ついかがですか?」とあげたのがきっかけだった。
先輩は驚いた様に振り向き、一瞬戸惑った様子だったが
「ありがとう」
と笑顔で受け取ってくれた。そんな笑顔に結衣は自然と幸せな気持ちになった。
そして結衣がくるりと向きを換え、席に戻ろうとすると
「ちょっと待って」
そう先輩が呼び止めたので、結衣はまた向き直った。
先輩は自分のデスクの引き出しをすっと開けると、そこから1本のボールペンを取り出し、結衣に差し出した。
「これあげるよ、可愛くないけど」
そう言って渡されたボールペンには、どこかのイベント宣伝のキャラクターが描かれていた。猫の様などうぶつのキャラクターが法被を着ていた。確かに可愛いとは言い難いそのキャラクターに思わず結衣は吹き出してしまった。
「いいんですか?ありがとうございます。」
あれからこのなんだか分からない猫似のキャラクターが描かれているボールペンを結衣は使い続けていた。いつも左の胸ポケットに入れて、持ち歩いている。
友達からは変なの~って笑われるけどそんなの気にしない。自分でもなぜかそのボールペンが気に入ってるから。でも時々先輩に気付いてもらえないかなぁって、わざと目の前で使ったりもするけど、先輩は全く興味がない様子だった。
そのたびに心の中ですねたりもした。
結衣は仕事そっちのけでくるくるとボールペンを分解して見た。するとあの細長い筒状のスケルトンの部分に全くインクが無いことに気付く。途中で書けなくなるのも時間の問題だと思った。
なんかそんな風に考えるとちょっとだけ寂しい気持ちになる。
結衣は再びボールペンを組み立てるとメモに先輩の名前を書いてみた。しかし、最後の文字が少しだけかすれた。
やっぱり、、、、もうこれ以上書けないのかな。
結衣はそう思って少し考えた。このボールペンで書ける最後の言葉を探す。
そして思いついた言葉を丁寧に書いた。本当に最後の文字は何とか書けるくらい。
「斉藤裕也さんへ好きです」
などと書いてみたが結衣は恥ずかしくてたまらない。しかしこのメモをどうしようか。
メモを見ては先輩の背中を見る。そしてまたメモを見つめる。
結衣は思い切って立ち上がり、スタスタと先輩のデスクへ向かった。
「先輩、ずっと前に頂いたボールペンのインクがなくなっちゃいそうだったから、思いついたこと書きました」
いきなりそんなことを言う結衣に目を丸くして先輩がこちらを見上げる。
結衣はそんなのお構いなしにさっき書いたメモを先輩のデスクに置いた。先輩はそれに気づきメモを手に取る。
しばらくそのメモを眺めていると、不意に先輩の手が私に伸びてきた。
「このボールペンもうつかないの?」
先輩はそう言うと、結衣の胸ポケットからひょいっとボールペンを抜いた。
そのボールペンで、先輩はメモにゆっくり一言付け加えると、結衣に差し出した。
「じゃぁ、今度はこれあげるよ、字下手だけど」
結衣はそのメモを読むと、ぱっと先輩の顔を見る。
先輩は既にパソコンと向き合っていたけど、耳まで真っ赤になっているのがわかった。
結衣はたまらず先輩に後ろから抱きつく。
そのはずみでメモがヒラヒラと舞い上がった。
「斉藤裕也さんへ好きです オレも」
おわり