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くまの子ぷー太郎

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くまの子ぷー太郎




 くまの子ぷー太郎は怖い。何が怖いって、一番に、右手に釘バットを持っているところが怖い。二番に、常時その愛らしい顔に返り血がこびり付いているところが怖い。


 「ぷー太郎」
 「あ゛ぁん?」


 名前を呼べば、ぷー太郎がドスの利いた声をあげながら、つぶらな瞳をぐりんと僕へと向けた。ぷー太郎と僕は、空き地に積まれた角材の上に二人で座り込んでいる。天気は快晴、夏に近付いてきたせいか日差しがぢりぢりと皮膚を焦がす。今日は着ぐるみの着こなしが悪かったのか、ぷー太郎は苛立たしげに舌打ちをしながら着ぐるみの頭を片手で回して調節していた。その四本指が一つに纏められたミトンのような手指を眺めて、僕は尋ねる。


 「ぷー太郎はどうしてクマの着ぐるみを着てるの?」


 一瞬訝しげにぷー太郎は僕を眺めて(訝しげと言っても、着ぐるみに覆われた顔から表情は窺えないけれども)、同時に左手に持った煙草を「湿気てやがる」と地面に叩き落として、踵でぐりぐりと踏み躙った。僕は、ぷー太郎が新しい煙草に火をつけて、マスクについた小さい通気口から満足げに一息吐き出すまで待ってから言葉を続けた。


 「ねぇ、どうして?」
 「知らねぇよ」


 投げ遣りなぷー太郎の言葉に、僕は軽く肩を竦める。苛々しているように、ぷー太郎の丸っこい膝が貧乏ゆすりをしていた。そのボア製のふわふわとした膝を軽く掌で撫ぜれば、揺れは収まる。何処か満足げに、ぷー太郎が鼻をふんっと鳴らしているのが聞こえた。


 「ぷー太郎はどうしてそんなに乱暴なの?」


 続けて問い掛ける。ぷー太郎は、ぷかーっと空に白いドーナツを浮かべながら、茶化すように言った。


 「それはね、人が泣いたり喚いたり、痛みに悶えて地面を転がりまわったりする姿がダーイスキだからだよ」


 ぷー太郎の口から連続でドーナツが吐き出される。それを見て、ぷー太郎はヒャッヒャッと下品な笑い声を上げて喜んだ。ふわふわとした手でふわふわとした膝を叩いて、ぼふぼふと濁った音を立てている。


 「ぷー太郎はどうして返り血を浴びてるの?」
 「それはね、さっき益田組の馬鹿共をハニーメープル君でぐちゃぐちゃのけちょんけちょんにしてきたからだよ」


 ハニーメープル君というのは、ぷー太郎お気に入りの釘バットのことだ。何か名前を付けた方が格好良いだろうと話し合った結果、ぷー太郎の「グレイト血の海号」ではなく、僕の「ハニーメープル君」が採用された。その時、ぷー太郎は『ハニーもメープルも一緒じゃん…』と最後まで文句を垂れていたけれども、結局僕が『クマははちみつ持ってるのが普通だからいいの』と押し切った。ぷー太郎の可愛い見た目に、グレイト血の海号だなんて冗談じゃない。可愛くないにも程がある。


 「どうして、ぐちゃぐちゃのけちょんけちょんにしたの?」
 「すれ違い様に肩ぶつけて因縁付けてきたからだよ」
 「因縁って?」
 「人間いろいろあるって意味だ」


 そう言って、ぷー太郎は気安い仕草で僕の肩にふわふわな腕を回した。首筋が柔らかい感触に覆われて、僕は少しだけ安心する。


 「ぷー太郎は人間なの? クマじゃないの?」
 「クマだからって舐めんなよ」
 「やっぱりクマなんだ……」


 どうやら着ぐるみの中で中指を立てたらしい右腕のジェスチャーに、僕は少しだけ笑った。それから訊ねた。


 「ぷー太郎は、どうして僕の傍にいるの?」


 問い掛けると、ぷー太郎がいきなり押し黙った。つぶらな瞳で虚空を見つめたまま、紫煙を長く吐き出す。その沈黙は、ぷー太郎が今までの自分の人生を振り返っている時間のようにも思えた。


 「御前、クマ好きだろ?」
 「好きだけど」
 「ヒーローも好きだろ?」
 「好きだけど」
 「なら、それでいいんだよ」


 それは僕を納得させるというよりも、ぷー太郎が自分へと語り掛けている言葉ように聞こえた。短くなった煙草を地面へと落とすと、火種を踵でぐりぐりと踏み潰す。そのせいでぷー太郎のふわふわだった踵は小さな穴がぽっかりと空いている。その踵から覗き見えるのは、古ぼけたスニーカーだ。それを見る度に、何故だか僕は無性にぷー太郎が愛しくなる。


 「でも、ぷー太郎はヒーローっていうかヒールじゃない?」
 「五月蝿ぇんだよチビガキ。黙って、俺に守られてりゃいいんだボケ」


 悪態を付きながらも、そう言うぷー太郎は何処か満足げだった。そもそもチビガキと言うけれども、僕だってそろそろ高校生になるのだ。身長だって、そろそろぷー太郎に追い付く。そして、いつか僕はぷー太郎を追い越すんだろう。


 「あっ、坊ちゃんに兄貴」


 空き地の入口の方から野太い声が届く。いかにもヤクザといった面構えの男達が数人そこに立っていた。誰も彼も何だか微笑ましいものでも見るかのように目を細めている。

 僕は彼らのことをよく知っている。うちで働く若い衆だ。僕は小さい頃、彼らのことが本当に怖かった。背中にど派手な刺青を入れたり、欠けた小指を見せびらかしたり、ことあるごとに凄んだり、そんな彼らの姿を見る度に大泣きしていたように思う。

 そういえば、昔、僕によく付き添っていた若い男がいた。若い衆の中でも一番粗野で頭も悪くて、幼い頃の僕を高い高いしようとして二階の窓から落としたこともあった。泣き喚く僕を喜んでいるのだと勘違いして、ぐるぐると回転させて硝子棚にぶち当てたこともあった。僕のご機嫌取りに動物園やヒーローショーに連れて行ってくれたりもした。その帰りには、馬鹿の一つ覚えのように決まってクマのぬいぐるみを僕にプレゼントした。不器用で強情もので、子供の扱いがヘタクソで、それでも彼は可愛いぐらい一生懸命だった。そういえば、あの男の厳つい顔をいつの間にか見なくなってしまった。ふとそんな事を考えて、僕は微かに頬を緩むのを感じた。

 ぷー太郎は、気怠そうな仕草でひらりと男達に手を振った。手を振られたことが嬉しかったのか、厳つい男達はまるで女子高生のようにキャッキャッとはしゃぎながら去って行く。その姿をぼんやりと眺めてから、ぷー太郎は独りごちるように呟いた。


 「あ゛ー、ヤクザもつれぇよ」
 「ぷー太郎はヤクザなの?」
 「クマだよ、ちくしょう」


 悔しがるみたいなぷー太郎の台詞に、僕は声をあげて笑ってしまった。宥めるように背中を撫でると、ぷー太郎がふわふわの手をふわふわの顎に添えながら深く溜息をついた。


 「御前、本当は気付いてるだろ」
 「何のことだか」
 「そろそろ夏になんだぞ。俺だって脱皮してぇんだよ」
 「クマは脱皮しないよ」
 「この性悪ガキ」
 「育て方間違ったね」


 まったくだ、と呻いて、ぷー太郎はもう一度溜息を吐いた。クマの着ぐるみに覆われた彼の横顔を思い描く。不意にこみ上げてきた想いに突き動かされて、僕はぷー太郎のふわふわな頬にキスしていた。ぷー太郎がつぶらな瞳で僕を凝視してくる。


 「僕がぷー太郎の背を追い抜かしたら、クマからお嫁さんに昇格してあげるよ」


 ぷー太郎が絶句する。きっと着ぐるみの中の顔は真っ赤になってる。そんな事を思うと、たまらなくなった。
作品名:くまの子ぷー太郎 作家名:耳子