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デイミニッシュ

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空へと昇る煙達。どこかで葬式をしているようだ。青空と夕焼けの狭間は桜色。晩秋午後四時頃だろう。
 普段根を張っている地面より遥かに高いビルの上。ここから落ちたら、わたしは死ぬかしら。きっと死ぬ。金属製の手摺は、わたしの背中を冷やす。柵を越えたのはとうに昔。
「……あー」
 ソのフラット。愛した和音はもう出ない。
 勉強は、好き。運動も、嫌いじゃない。ただ、うまくできないだけ。
 料理は、好き。裁縫も、嫌いじゃない。でも、うまくできないだけ。

「あたし、合唱やめなくちゃいけないかもなんだ」
「……そうなんだ。なんで?」
「おかあさんが、塾、行けって」

 彼女のことは、好き。彼女はわたしを、決して『好き』にはならない。
「だいきらい」
 うそばかり出る口を封じよう。
 ……この考えすら、口に出さないことすら、うそ。
 飛び降りることができないから、ここにいる。中途半端な手摺の向こう側。今の世の中に別れを告げたいと思いながら、アチラに踏み出す勇気も持たない。臆病なわたしがいるべき場所は、きっとどこにもない。
 遺書を書こうかと思ったが、それをするには柵を再び越えてこの世に戻らなければならない。それはひどく癪なことに思えた。
 なぜ、投身自殺を図る彼らは、靴を脱ぎ置いてゆくのだろう。その心理はわたしにはさっぱりわからないから、わたしはきっと、投身自殺をするに相応しいだけの悩みや憂いを持っていないのだろう。けれど、死にたい。勝手にさせろ。
「……あー」
 ミのフラット。愛した和音が懐かしい。
 彼女のことが好きだった。恋愛だとかそういうことはわからない。ただただ好きだった。
 セーラー服のスカートが、風にはためく。膝の裏がくすぐったい。
「寧子……」
 寧子にふれられなかった。高尚な存在だったから。長い髪が風に揺られて、時折シャンプーの匂いがした。セーラー服、柔軟剤の匂い。素肌の彼女からどんな匂いがするのか、わたしは知らない。きっと誰も。その服をすべて剥ぎ取って、その髪をすべて切り剃って、肌一枚――。
 目眩がした。美しすぎて、目眩がした。

「あのね、あたし、彼氏ができちゃった」
「……ほんと?」
「ほんと! 莉那はいちばんの友達だから、いちばん最初に自慢しようと思ったの」

 風が強くなる。髪を掻き乱される。数本口に入る。不快。わたしが舐めたいのは、こんな細い髪じゃない――。
 そこで、ハ、と。
 わたし、髪の細い寧子を愛せるかしら、と。
 ……。……ビャア、ビャア、風が凶暴な猫のよう。
 この気持ちを記さずに死ぬのは遠慮願いたいと思ったわたしは、遺言にでも記そうと柵を乗り越えた。言葉にして遺せばきっと、この気持ちがほんとうのものだと信じられる気がした。色恋の好きかどうかは問題に成り得ないが、漠然とした愛さえも否定してしまいそうで、しかも自分自身の言葉で否定してしまいそうで、よくわからないが不安になった。死人に口無し。ならば死ぬ前に。
 あれほど癪に思えた行為を、いとも容易く行える心境の変化に気が付いた。この調子でいけば当分寿命が延びる。明日は月曜日だから、学校に行かねばならない。寧子に会える。嬉しい。
 学校の屋上、隣同士で座ったあの日、ざわつく風、まとわりつく制服生地、揺れた彼女の髪の毛、こっそり舐めとった。舌が切れてしあわせでたまらなくなった。
 そっと、妄想する。きっと明日もこんなふうに。
 知らず、笑顔になっていた。せつない。
「あいしてる、寧子」
 きっと今頃寧子は、彼氏と一緒に歩いている。わたしより近い距離にいる。ひょっとするとその距離は、もう既にマイナスなのかもしれない。それでもいい。差し込まれ捻じ込まれる舌を想像し、吐き気を催しかけた。とりあえずその彼氏がどんなひとなのか聞いてやらなければならない。わたしは友人として興味津津。
 わたしはもう一度柵を乗り越え、下界を見下ろし背中を冷やす。足を振り靴を下へ落とした。あの世なんてないさ。下に行けばきっと、わたしの靴は見つかるさ。
 靴下越しに鉄パイプの冷たさを感じながら柵を今度こそ乗り越え安全地帯へ行き、気が向いたときにでも遺言を書こうと思った。
 恋がしたいなあ、と呟いた。それは空の金星だけが堂々と聞き、その他大勢はこっそりと光らぬように聞いていた。
「……あー」
 ド。飾り気は、ない。
作品名:デイミニッシュ 作家名:長谷川