フェル・アルム刻記
[あんた、今のままじゃあ、行き倒れになるよ? それにこの子も。少し休んでいきなよ]
ハーンは自分が焦っているのを知っている。世界に変化が如実に現れ始めた今となっては、時間こそがもっとも貴重なものだから。だが、自分の疲労が極致に達していることも分かっていた。このままではスティン高原に辿り着くまで体が保つかどうか怪しい。ハーンは体を休めることに決めた。
今夜宿泊する客は普段より幾分か多いようだ。ダシュニーへと向かう商人の一団が泊まるらしく、あいにくディエルの分まで空きがなかったため、二人は一緒の部屋で休むことになった。
夜も更け。ディエルはふと目を覚ました。ハーンは隣のベッドで、ぐっすりと眠りこけている。
「ふう……。まさかこんなことになるなんて、思いもしなかったぜ。全てはジルのせいだ」
ディエルはひそひそと言った。
「オレの探していた“力”を持って帰るのは無理だな……。あとはジルのいる町の“力”に頼るか……。悔しいけども、オレのほうはお手上げだな……ジルのせいで! オレの探す “剣”が見つかればなあ」
ディエルは暗がりの部屋を見渡す。ふと、ハーンの荷物に目がとまった。ひと振りの剣があるのに気付いたのだ。漆黒の雄飛、レヒン・ティルルである。
ディエルは静かにベッドから抜け出すと、その剣を手にしてみた。背の伸びきっていない少年が持つにはいささか重い。
(こいつはたいしたもんだ! オレが感じたあの“剣”に比べると力がないけど、それでもかなりの“力”が込められているな)
ディエルは目を閉じ、神経を剣に集中させる。
(『闇』に属する剣か。でもこれを使いこなすなんて、この兄ちゃん、なにもんなんだ? どれ、兄ちゃんのことをちょっと調べてやるか……)
ディエルはベッドに戻るとあぐらをかき、手を組んで神経を集中させた。ディエルの身体が、淡い緑色の光に包まれる。何かしらの術を発動させているのは確かだ。
そして、瞬時に光はディエルの身体の奥に消え去った
(へえ……たいした“力”だよ。これはびっくり、だね……)
ディエルは、ハーンを見てにやりと笑った。
(予想外のことになったな……でも“力”は手に入りそうだ)
ディエルは窓かけの隙間から外の景色を見た。
人々は寝静まり、民家には一つの灯りもともっていない。そして空。穏やかな銀の光で世界を包むはずの月の光も、夜空を彩るはずの星座も何一つ無く、ただ暗黒が支配している。
(この世界は終わりかけてる……。そう長く保ちそうにないな。“力”を手に入れたら、ジルと一緒にとっととおさらばしないと、こっちまで危なくなる)
ディエル、そして彼の双子の弟ジル。彼らはフェル・アルムの民でも、アリューザ・ガルドの人間でもない。ましてや、アリューザ・ガルドを見守る神“ディトゥア神族”でもないのだ。どれにも属さずに、“力”を求める者達。彼らは――。