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フェル・アルム刻記

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三.

 夕日を受けて一面を赤く染めた空に、雲が次第に覆い被さっていく。そして夜のとばりが下り、やがて周囲を漆黒に染める。雲の切れ間の所々からは星が姿を覗かせており、あの激しい雨は止んでいた。
 ルード達は馬を進め、スティンの山々の入り口に差し掛かるところまで来た。彼らの左手には全ての発端となった山――ムニケスがあった。
 彼らはこの日の移動を打ち切った。そして、街道から少し道を外れたところにある、目立たないが実は大きなほらを今晩の休息地にすることにしたのだった。ここは高原の少年達の秘密の隠れ家で、村人すら知らないような、へんぴで意外な場所にあった。一行が安全に休むのにはまさにかっこうの場所だった。
 用意周到なハーンは天幕やら食料などもきちんと用意していた。おかげで彼らはほらの中で快く過ごせた。

 翌朝。朝の刻を告げる鐘も鳴らないうちに彼らは起きた。昨日の雨のせいで空気はじっとりとしているが、ルード達の気持ちは軽やかなものになっていた。
 朝食をとりおえる頃には天候は回復し、朝の日差しがほらの中にまで差し込んできた。さすがに今日一日かけてもスティン越えは無理だ。おそらく、下りの道の中腹で今日の旅を終えることになるだろう、とハーンは言った。

「……ねえ、確かさ、この辺だったのよね?」
 太陽も高く上がり、山道が大きく左に曲がるところでライカが尋ねてきた。彼女は布を頭に巻いて、特異な自分の銀髪を隠している。豊かな後ろ髪はまとめあげて、調和させるように布で覆っている。また、服もそれに合わせるように、ゆったりとしたもので、スカートではなくズボンをはいていた。これらは、ライカがミューティースから貰い受けたものだった。その姿はライカに結構似合っているのだが、彼女は髪をまっすぐ下ろしていないときまりが悪いようで、しょっちゅう気にしていた。
「そういえばそうだよなあ、あれは……」
 彼らは間違い無くこの場所で、化け物と遭遇したのだ。
「あんなのを見たのって初めてよ。ああ! 思い出すだけでもあいつ、気色悪いわ!」
 今では、あの熾烈な戦いが嘘だったかのように、森は静まり返っている。
「俺だって、もうあんな目には遭いたくないよ。でもさ、あれは何だったんだろうなあ?」
「……もう、戦うことなんかないわよね?」
 自分達を安心させるためか、ライカが身を乗り出すようにして訊いてくる。
「うん、あんな魔物が出てきたら大変だよ。でもね……ひょっとしたら、戦うことになるかもね」ハーンが言った。
「え?!」不安に駆られたルードとライカは口を揃えた。
「化け物と、じゃないよ。疾風と、だよ。君達にいちおう武器は渡してあるけど……」
 ハーンは出発の前に、ルードには短剣を、ライカには鋭利な短刀をそれぞれ渡していた。
「殺しの達人とそれで渡り合えるなんて思っちゃいけない! 君達の武器は、いざって時の護身用でしかないよ」
「じゃあ、どうすればいいのさ?」ルードが言う。
「お互い離れないようにすることだね。ルードは剣を使ったことはあるかい?」
「うーん、少し習ったことはあるけれど……せいぜい、草を払う時になたや斧がわりに使うくらいかな?」
「わたしだって、全然心得は無いわよ。『風』を護りに使えるけど、いつもそれがうまくいくとは限らないし」
「単独行動は危険だよ。いつも一緒にいなければならないとは言わないけどさ、お互いが分かる場所にいるようにしよう。そして、万が一疾風に見つかったら僕が相手をする。君達は手を出しちゃだめだよ! 相手が手練れだってことをお忘れなく! もちろん、見つからずに〈帳〉のところに着けることを祈っているけど……用心はしないとね」
 ハーンが念を押すように言った。

(そう言えば、ハーンには剣と術の力が、ライカにも風を操るような力があるのに、俺は何も持ってないじゃないか)
 ルードはふと、新たな葛藤に気が付くのだった。
 事件の不思議さやライカのことを不安に思ったり、運命に巻き込まれていくような自分の境遇を呪ったり――そんなことは自分の中で解決したつもりだったのに。
(俺に、何が出来るんだろうか?)
 ルードはその想いを、自分のうちにそっと隠す。そして、前を行くハーンの背中を見る。彼は華奢で、ルードのほうがよっぽど体格がしっかりしていた。しかしハーンは、その風体と口調からは想像出来ないような強さと知識を持っている。底無しの、得体の知れない“力”を秘めているのではないかとすら、時として感じさせるほどに。
 だからといって、ルードには、(ルード達を破滅させようと)ハーンが謀っているようには思えなかったし、ハーンその人に恐れおののくこともなかった。ルードがハーンに抱いているのはひたすらに、敬意と、そして友情だった。
(ライカをもとの世界に戻す手助けをする、そうしたいんだけど……俺も強さを持ちたい! どんな時であっても、ライカを守るのは、俺でいたいんだ!)
 ライカへのほのかな想いは、いつのまにか恋慕へと昇華していた。ライカは自分のことをどう思っているのだろうか。自分に信頼をおいていることはよく分かっているが、もうそれだけでは満足出来なくなっていた。

「あーっ!」
 ハーンがいきなり驚いたように声を出したので、ルードはびっくりした。
「どうしたんだよ。……! まさか、疾風がいる、とでも?!」
 ルードはハーンのほうに馬を静かに寄せ、やっと聞き取れるくらいの声で訊いた。
「あ、いやね、そんなとんでもないことじゃないんだけどさ」
 珍しくうろたえたようにハーンが言う。
「だけど?」
「そのう、僕って、みんなが使える大きな水筒を持ってたでしょ? ……でもさあ、寝ていた場所に、水筒を置いてきちゃったみたいなんだなあ」
「……」
「……」
「……」

 沈黙。

「もう! 水は大切にしなきゃ、とか言ってたその人が、どうして忘れるのよ!」
 沈黙を破ったのはライカだった。
「うう……ごめんなさい」
 ハーンがその剣幕に押される。
「ねえ、少し休んでいかないか? さすがに疲れちゃったよ」
 頭を左右に振り、首の骨を軽く鳴らしてルードが言う。
「そうだね、そろそろ休みをとろうか。……ねえライカ?」
 調子良くハーンが言った。
「私を持ち上げても、なくなった水筒は戻ってこないわ。それともハーン、今から取りに戻る? 危ないだろうけど」
「うう……ごめんなさい」
 ライカはひたすらに冷たかった。



作品名:フェル・アルム刻記 作家名:大気杜弥