フェル・アルム刻記
四.
それから――ルード達は家族に、友人に、全ての村人達に語った。ライカとの出会いから始まった、ルード達の行動のことを。世界が変動しようとしていることを。そして間違えば崩壊してしまうということも、全て隠さず話した。
集まった村人達に紛れて、幾人かの疾風が紛れていることをルードは察知した。が、疾風達はルード達を妨げる仕草や殺気すらみせずにたたずんでいた。害する意志など全く無いように。
「“混沌”によって大地が崩壊するさまを目の当たりにしてしまったならば、疾風とて自らの存在意義を見失うだろう」
〈帳〉の言葉どおり、全てを話し終えた後、疾風達はいつの間にかいなくなり、その後見かけることなど無かった。
ついにスティンの、いや、北方の民全体の意志はここに固まった。“混沌”をもたらす黒い雲を避けるために南へ向かうこと。それが全てだった。
そこから先は運命の渦中の者達が、為すべきことを成し遂げる。聖剣の“力”と双子の使徒の力によって“混沌”を追いやる。そしてデルネアと相対し、フェル・アルムを還元するすべを聞き出した後、それを発動させる。
ハーンの所在がようとして知れぬとはいえ、やり遂げなければならない。
* * *
時ははや、夕暮れを迎えようとしていた。世界全てを赤い光が包み込む。それは落ちゆく陽の暖かさを感じさせるもの。空も大地も一面真っ赤に染まり、彼方に流れるクレン・ウールン河は、光を反射して時折きらきらと水面を輝かせている。
高原の切り立った場所に膝を抱えて座り込むのはルードとケルン。二人はただ、大河の流れゆくさまをじいっと見つめていた。
あれは――春を祝う宴の時だった。二人は今と同じようにして彼方の大河を、ウェスティンの地を見やっていたものだ。嬌声、フィドルやタールの音色――そんなものが遠くから聞こえてきたのを覚えている。それから三ヶ月経った今。あの時のことはひどく昔のことのようにルードには思えた。
「ケルン。祭りの時にお前が言ってたことなんて……お前は覚えてないだろうなぁ」
「酒に酔っててそんなの覚えてないって。言ったろうに?」
ケルンはけたけたと笑った。
「ルード、お前も嫌なやつだよな。祭りの時の俺が酔っぱらってたのを知ってて、今さらその醜態を晒そうってのか? ひでえなぁ」
「馬鹿」ルードもつられるようにして笑い返した。
幼い頃から見知っている親友。彼と話す時に感じる独特の穏やかな雰囲気。それこそ何ものにも代え難いものだとルードはあらためて知った。自分が聖剣を持とうと、セルアンディルになろうと、ケルンがかけがいのない友人であることにまったく変わりはないのだ。
(そう。ケルンはあの時言ってたっけ)
宴の日。酩酊しながらも言い放ったケルンの言葉を、ルードは思い出していた。
(この世界では海の向こうに陸など無いし、“果ての大地”の向こうに別の国なんて無い――ケルンはそう言ってた。それが当たり前とされて考えてたことだから。でも、元々はそうじゃなかった。フェル・アルムがアリューザ・ガルドの一部だった頃には、この海の向こうには大陸があったんだろうし、ここから北の大地をずうっとのぼっていったら、その大陸と地続きになっていたはず。それが本当にあるべきごく自然の世界なんだ)
「……でも、見てみたいよな。海の向こう。どんな世界が広がってるのかな?」
ケルンの願いはルードの思いと同様だった。ケルンは落ちていく太陽の方角をじっと見つめて大きく伸びをした。
「ま、そのためには色々としなきゃあいけないことってのがあるんだよな」
「……ああ」
ルードは気の抜けたような声で返した。そうだ、するべきことはたくさんあるのだ。
「なあ、一回しか言わないから、ようく聞いとけよ!」
ケルンは突如すくりと立ち上がって言い放った。
「お前や〈帳〉さんのようにだ。世界そのものを救うとか、元に戻すとかいった力なんざ、俺達は持ち合わせていやしない。でもな、少なくとも心の支えにはなれるつもりだ。俺だけじゃない。シャンピオもストウもいる。うちの親父さん達、それにお前んとこの家族――いや、スティンの連中全員がお前の支えになってくれるだろうさ。
「頑張れ。俺にはそれしか言うことが出来ない。でもみんながお前を応援してくれてるっていうのは、大きな支えになると思わないか?」
ルードはこみ上げてくる熱いものを感じ、顔を膝頭に押しつけた。ケルンは、ルードを気遣うように少々距離を置くと、ゆっくりと周囲を歩きながら赤く染まるウェスティンの平原を眺めるのだった。
ややあって。
「……な、なあルード。いいかな?」
ケルンはさすがに声をかけずにいられなかった。眼下に広がる平原は、普段よく目にしている情景なのに、明らかに異質と思える変化を見つけたからだ。
ルードはズボンで目元を拭うと、ゆっくりと顔を上げた。
「あれ……なんなんだ? 前からあんなのがあったっけ?」
ケルンはやや訝しがりながらも、彼の感じた違和感の元凶を指で示した。
「ほら、見えるか? そこ……もうちょっと右だ。河があってその奥に木がたくさん生い茂ってるとこがあるだろ?」
「うん」ルードはうなずいた。
「で、そのちょっと手前……黒い何かが見えないか?」
ルードは目を凝らして、ケルンの言う場所を見つめた。確かに、あの辺りには草地しかなかったような記憶がある。それなのに黒い染みのようなものが見えているのはなぜだろう? しかもそれは静止しているわけではなく、やや動いているように見受けられる。
ざわざわとした嫌な感じ。体の中を悪寒が走り抜けたような気がして、たまらずルードは立ち上がって、さらに目を凝らして目標を見つめた。
「生き物? 羊の群か?」
言葉ではそう言いつつも、ルードは内心不吉な予感がしていた。心なしか、その場所からは強く敵対する意志が伝わってくる気がするのだ。
「まさか、魔物ってやつじゃないだろうな」
ケルンは声の調子を落として言った。
「いや、違うような気がする。大勢の……人なのかもしれない。……けど、なんだかひどく嫌な感じがするぜ……」
ルードの予感は的中した。
――その報がスティンの高原に伝えられたのは夜になってから。南方の行商から帰ってきたシャンピオによって伝えられた。
中枢の戦士達が、北方に巣くうニーヴルを討つために進軍している、と。
その数は二千。そして将の名は――デルネア。