座れない席
彼女はそう言い続けた。
「お願い、座らせて」
彼女の前に立っている友人がそう言い続けても、彼女は決して友人を座らせなかった。
私は終点で降りるので、このやりとりを見ていることにした。
彼女と乗客の間には、一人が座れるほどのスペースが空いているのだが、誰もそこに座らせなかった。
誰かが座ろうとすると、
「座らないでください」
と止めた。
友人のかばんも置かせなかった。
とにかく誰もそこに座らせなかった。
そしてついに友人が、
「もういい、座る」
と言い、そこに座った。
するとどうしたものか、友人は跳ね返り、地面に叩きつけられた。
「だから言ったのに」
彼女は言った。
すると突然、扉も開いていないのに風が顔をかすめた。
私は思わず周りを見回したが、席を立った者は誰もいなかった。
そして彼女は、誰もいない扉に向かって手を振っていた。
扉が開き、ぽつぽつと乗客が降りていった。
彼女は、ようやく友人を席に座らせた。
「何だったの?」
友人は言った。
「ねぇ、透明人間って信じる?」
彼女は言った。
私は寝たふりをして、彼女達の会話を聞いていた。
「透明人間?」
友人は言った。
「そう、透明人間。電車とかでさ、空いてるのに誰も座らない席とかあるでしょ。あそこって透明人間が座ってるんだって。それで寝てたら起こしてくれ――」
――点、終点。
寝たふりのつもりが、本当に寝てしまった。
私は誰かに起こされたような気がして、周りを見回したが、乗客は誰もいなかった。
駅員が歩いていないところを見ると、駅員でもないようだった。
誰に起こされたんだろう。
そう思いながら降りる準備をしていると、また顔に風がかすめた。
〈完〉