真夜中1
死ぬ感覚ではなかった。
死ぬことを覚悟していたのに、どうやら死んでいないらしい。
ただわかることは、瞼がとても重くて開かないことと声が出せないこと。
誰かのすすり泣く声が聞こえる。
誰、鳴いてるの?
かあ、さん?
そこで意識を手放した。
そんなことがあってから数年経った。
ボクはフリーのライターと言うと聞こえはいいけど、なんとか食べることに困らない程度に稼ぎがあると言うところだった。
今は実家を離れ一人、雑居ビルのようなアパートと言うか、フラットと言うか、そんなところに身を置く。
治安がいいのかというとよくわからない。
そこは自分の一番知っている世界の中だったからだ。
色々なものが雑然とあって、そして人々が息づいている。
くたびれたような昼間の顔から華やかな夜の顔。
要するにここはどこかと言えば、古臭い言い方をしたら……「赤線」とか「色街」とかになるんだろうか。
実際そういう関係の女性も多いのは否定出来ない。
そんな中にある。
そもそもここは自分の一番知っている世界だった。
両親はいなかった。
母一人とニューハーフのよーこさんと一緒に暮らしていた。
母親はシングルマザー。
父親はどこかの妻帯者とのことだった。
どこかの店にいた時の客がそうだったらしい。
妊娠がわかってから店を辞め、まったく見知らぬ土地に来てボクを産み、小さいながら水商売の店を開いた。
そしてよーこさんと知り合ったのは、たまたま飲みに来ていた時に子供の声が聞こえてきたことからだった。
夜子供を預かってくれる先がなかったので店に連れてきていたものの、困り果てていた。
そこで母親が事情を話し、よーこさんが育ててくれることになった。
本来は店に出ないと行けないのだが、店の控え室にボクを置いて世話をしながら店をやっていたのだった。
客層が違っていたためか、店に来たお客さんからも人気があった。
とにかくお店の従業員の人がすごかった。
有名大学を出たのに、この道に来てしまった人が家庭教師だったので、ボクの勉強はかなり先まで進んでいた。
色々なことを皆が教えてくれた。
それは学校でも、母親がちょっと教えられないことまで。
ある意味、変な環境の元にいたのかも知れない。
皆が基本夜型で、昼くらいにならないと起きてこないのでやがて家事のほとんどをこなしていくようになっていき、中学当たりではそこそこ料理も作れるようになっていた。
今にして思えば。そのおかげで自活するのに全く困らない。
母親との間がぎくしゃくしだしたのは、中学辺りから。
そこから高2の夏に自殺未遂を起こしてからカウンセリングを受け、少しづつ関係性は良くなったと思う。
高2の夏休みに付き合っていた彼女に別れを告げられ落ち込んでいた時に、前からしつこく付きまとっていた男性に襲われた。
そのことがきっかけで自殺未遂を起こし、母親が駆けつけすすり泣いていたらしい。
相手は逮捕されたけど、またいずれやってくるのではと考えただけでもゾッとする話だった。
だからこんなところに住んでいなくてもと言われるが家賃の安さや勝手を知りすぎていて割と良くしてもらっているのでなかなか抜け出せない。
そんなボクが馴染みにしていた店から出てきた時、制服姿の女の子が何人かのサラリーマンに絡まれていた。
女の子は黒髪ロングの日本人形のように顔の整っていた子で、サラリーマンたちは30大前半と20大後半が進路を塞ぐようにしている。
女の子は困った顔をし、何度も断っていたようだった。
そこを通り過ぎる人たちはそんな様子を物珍しくなさげに通り過ぎる。
このままだと補導されるなぁと思っていたところ知り合いの補導員に声を掛け、そこのサラリーマンたちを追い払ってもらった。
「これでいいのかい? 希唯(けい)くん」
「ごめんなさい。利用してしまって……」
「しかしこんな時間にこんなところをうろついていたら変なのに絡まれますよ」
「あ……はい、すいません」
女の子は弱々しく言った。
「とりあえず希唯くんのところで今日はそのまま帰しますが注意してくださいよ」
「希唯、くん?」
女の子がボクの顔をまじまじと見た。
「ボク、宇月希唯って言うんだよ」
「そうですか……ありがとうございます」
「嫌、でも大丈夫だった?」
ボクが聞くと彼女は頷いたが顔色が良くない。
近くのボクの家に寄ってもらいその後送っていこうと思った。