林檎
小春日和の穏やかな日。
いや、そんな歌詞のような陽射しがカーテンを明るく照らす部屋で仕事をしていた。
ボクの背中の後ろにはキミがいるはずなのにキミの気配が薄い。
「ねえ、居るんだよね。寝てるの?」
ボクは、振り返りもせずに声を掛けた。
「う、うん。居るよ。今声掛けちゃ駄目」
潜めた声は、明らかに自分の世界に入り込んでいるときのキミだ。
ボクは、少し遠い温もりを感じながら、自分のことでめいっぱいだった。
「よしよし、でーきた!」
「そう」
相づちだけの返事をした。
すると、ボクの目の前。原稿用紙とボクの間の上から降りてくる蜘蛛の糸?
赤い紐?
「どう?凄いでしょう。今日は切れなかったよ」
ボクの視界の焦点が合うとそれが林檎の皮だということがわかった。
「おおーやるねえ」
「えへん。ねえもっと褒めて」
「すごいすごい」
「もうー、気持ちがこもってなぁいー」
全く、こうなると猫撫で声も何処までも伸びる。どこかでプツンと切らなくては納まらない。
「まるで、猫の背中伸ばしたような声だね」
「にゃお。ねえ猫って林檎食べるの?」
「さあ?」
「食べる?」
「そうだね。皮だけじゃあね」
ボクは、テーブルの上の皮の剥かれた林檎を見た。
いや、見てはいけないものを見てしまった。
皮の剥かれた林檎は、赤い服を脱がされ、きめ細やかな林檎色をしている……はずだ。
だが、それは、雀の羽のような褐色の色をしているではないか。
「ちょっと、時間がかかったようだね」
「うん。思ったよりかかったね。でも大丈夫」
サクッ…サクッ…
キミが、切り分けた林檎の切り口は、林檎色をしていた。
「ほらね。はい、あーん」
「あーんってねぇ」
「だって、手が汚れちゃうよ。誰も見てないからさ。はい、あーん」
誰が見ていようと見ていなくても、恥ずかしいんだ。
だが、口の前にキミの指先に摘まれた林檎の欠片を食べないわけにはいかない。
「あ、指食べちゃ駄目だよ」
「あはは。うん、食べないよ」
「はい、美味しい?甘い?蜜が入ってたんだよ」
「ん、うん。まあ甘いかな。旨い」
「そ?じゃあ 私も切って食ーべよ」
「そうだね。色が変わっちゃうからね」
「いてっ!」
「どうした?大丈夫?」
「今声掛けちゃ駄目」
見ると、キミの親指から林檎の皮がたらー…って言ってる場合じゃない。
「指、切っちゃったんじゃないの」
キミが、困った顔をしている。それとも、思わず指を銜えた所為か……。
今、ボクは、キミの剥いた林檎よりも赤い温かさを感じた。
なんてことを思い浮かべながら、原稿に書き止めるボクが居る。
真っ赤な林檎の中身は林檎色。
ただそれだけなのに……。
― 了 ―