ふたりのクリスマス
ふたりのクリスマス
誰にも云ったことはないのだけれど、ぼくは画家になりたいと思っていた。標榜するとか、そこまで力んではいなかった。ただ、毎日絵を描いていられたらいいなぁ、という願望があった。
秋になるとなぜだか寂しい気持ちになっていたが、美術部の部室には、いつも僕だけがいて静かに石膏デッサンをやっていた。その理由は、白い石膏像が好きだったから。
僕が高校生になってから、二年半が経過していた。残暑がひどい日だった。
「あの、今日からわたしにも描かせてください」
振り向くと、女子が入ってきていた。一年生の鈴木美穂だった。彼女は緊張した面持ちで、筒状にして白い木炭紙を持っている。彼女は色白で透き通るような肌の女の子だった。長い髪がきれいだった。秀才だという噂も聞いていた。
男子の間では一番人気の可愛い子だった。僕はドキドキしていた。桜が咲いていた頃、廊下ですれ違ったときから、僕は彼女に恋をしていた。
だが、彼女が入部したら、美術部の部室は男だらけになってしまうのではないかと、僕は危惧した。
「誕生日はいつ?」
それは前から気になっていたことだった。
「クリスマスが誕生日です」
それが彼女との、初めての会話だった。
「そう。クリスマスを一緒に過ごしてくれたら、いいよ」
ぼくは更にドキドキしていた。
「だめです。誕生会があります」
「じゃあ、諦めるしかないね」
そのとき、異変が起こった。彼女が嗚咽を始めたのだ。大量の涙が切れ長の眼から溢れ出した。鼻水まで垂らしている。
「……そんなに、デッサンをしたいの?」
彼女は泣きながら頷いた。
「じゃあ、ブラウスを脱いだら、描かせてあげるよ」
「……」
彼女は更に激しく泣いた。
「冗談だよ。いいよ。描きなよ。イーゼルはどれを使ってもいいから」
「ありがとうございます。じゃあ、脱がなくてもいいんですか?」
「暑いからね。代わりに僕が脱ぐよ」
僕は上半身裸でデッサンを続行した。
クリスマスイブは雪が降っていた。どこからかジングルベルが聞こえてくる。それは、気のせいかも知れなかった。
「佑樹。はい。クリスマスケーキ」
僕は三浦佑樹という名前で、美穂が入部した九月頃、彼女は三浦先輩と呼んでいたのだが、一緒に絵を描きに行っているうちに佑樹さんになり、最近では佑樹だけになってしまった。
美穂は僕に紙袋を見せながら云った。笑顔だった。
「コーヒーもあるよ」
「おお。やったね。それで今頃来たんだ」
「こんなものも持ってきたよ」
美穂から握らされたものは、車のキイだった。
「パパが出張でいないから」
「クリスマスドライブ!最高だね」
「雪が降ってるから、気をつけてよ」
「大事な美穂ちゃんを乗せて、事故ったりしないよ……あれっ?誕生会は?」
「明日が誕生日。ごめんね」
「どうして謝るんだ?」
「だって、入部したとき、クリスマスを一緒に過ごすことになってたでしょ。今日はクリスマスじゃなくてイブだから。だから謝った」
クリスマスイブの夜、道路は大渋滞だった。
「なんだよ。こんなんじゃドライブもへったくれもないじゃん」
「いいよ。佑樹と一緒にいられるもん」
「そうだね。大好きな美穂ちゃんと一緒だからね」
動かない車の中で、ふたりは手を握り合っていた。
「入部するとき、わたし、泣いたよね。憶えてる?」
「忘れないよ。そのことは一生忘れない。そのおかげで僕たちは仲良しになれたんだから」
「わたしね、あのとき佑樹にふられたと思ったの。だから泣いたんだよ。初めて学校の廊下ですれ違ったとき、桜が咲いていたのよね。あのときから佑樹が好きだったのよ」
「二年B組の教室の前だったね」
「そうよ!じゃあ、佑樹もあのとき?」
「好きだよ。美穂」
僕は彼女を初めて抱きしめた。そして、キスをした。彼女は泣いた。僕も泣いた。
了