掴み取れない泡沫
21.久野智樹
君枝のお母さんが在宅している日を狙って、君枝の家に行った。ベッドを運び出すために、レンタカーで軽トラを借りた。自宅の駐車場は使っていないらしく、そこに駐車し、車を降りた。何故か塁が一緒に車に乗っている。「手伝う」と言って聞かなかったのだ。お母さんには君枝が、俺が主役で塁は脇役だと伝えてくれているそうだ。
君枝の案内で入ったリビングには、ソファセットが対面で置かれていて、片側に小綺麗な中年の女性が立っていた。俺は君枝に背中を押されてお母さんの前に立った。
「初めまして、あの、君枝さんとお付き合いさせていただいてます、久野と申します」
「君枝から話は聞いてますよ、どうぞ、掛けて」
対面のソファに勧められるがまま座ると、君枝の後ろから塁がぴょこんと出て来て「あの、手伝いに来た太田です。君枝さんの部屋でスタンバってます」と言って勝手知ってか二階にのぼって行った。後ろ姿に君枝が「部屋の中いじらないでよ!」と怒鳴っている。賢明な声掛けだ。
「えぇっと、智樹君、でしょ。そう呼んでいい?」
「あ、はい」
俺は脂汗がにじみ出てくるようで落ち着かなくて、「目線は首元に」という就職活動の面接を思い出していた。
「君枝さんと、結婚を前提におつきあいを、いや、同棲をさせていただきたいんです」
しどろもどろに言うと、お母さんはにっこり笑って「そう」とひと言言う。
「君枝と、義理の父の事は、知ってるでしょ?」
お母さん、と君枝が咎めるように言うけれど、俺は「はい、知ってます」ときっちり答えた。
「自分の娘の事をこんな風に言うのはおかしいんだけどね」
これ、飲んでね、と目の前の紅茶を勧められる。
「この子、本当に苦労してきてるの。こうして男性を家に連れてくる日が来るなんて、正直、信じられないぐらい」
はい、と俺は頷いて話を聞く外ない。
「結婚を前提に、っていう言葉、信じていい?」
その語尾のあげ方は、君枝の話し方と酷似していて、君枝と話しているようだった。
「はい。前提というか、あの、結婚させてください」
隣にいる君枝が目を丸くして俺を見つめている。あぁ、順番を間違えている事に気付いたのはたった今だ。あぁ。まだ君枝にプロポーズ、してないじゃないか、俺。
お母さんはフフフと笑みを零して「良かったね、君枝」というと、君枝は「プロポーズはちゃんとしてよ」と俺をじろりと睨みつけた。
二階にあがると、塁がベッドの解体を始めていた。「布団も持って行くの?」いかにも怠そうに言う塁は、進んで怠げな仕事を買って出るので意味が分からない。
「布団は智樹の家のを使うからいいよ」
俺は自分で持って来たドライバーを使ってベッドの解体を手伝った。二人でやればあっという間で、君枝は身の回りの細々した物をカバンに詰め込む作業に入った。俺たち二人は解体したベッドをトラックに積み込む作業をし「終わったらお茶飲んで行って」とお母さんに声をかけられた。
ベッドが消えたスペースで塁と休憩しながら君枝の姿を目で追っていた。
「智樹、母ちゃんにプロポーズしてどうすんだよ」
「聞いてたのかよ」
腹に一発拳を入れると塁は顔を顰める。そんなこったろうとは思ったが。
「雰囲気が似てるのよ、元旦那と」
君枝のお母さんは何かを楽しむようにそんな事を言う。ちょっとおかしな人らしい。
「イケメンって言うの? 智樹君みたいなタイプだったの。だから智樹君を見た時に正直ギョッとしたんだけどね、アハハ」
アハハってそこ笑いどころじゃないよな、と思いつつも俺は顔を歪ませて笑った。
「智樹君は料理もできますし家事もできますよ。どうです、お母さん。君枝さんを僕にくれて、智樹君をお母さんに、とか」
俺は塁の頭を思い切り叩いた。何て事を言うんだ。それでもお母さんはケラケラ笑って「いいね、それ」なんて言っている。なかなか冗談も通じそうな、いいお母さんだ。塁とはやたらと波長があうようで、俺よりも塁の方がお母さんと話していたと思う。普通の会社員をやっていない塁に、興味津々らしい。この親子は個性の強い奴が好きなんだなと理解する。
結局塁は、ベッドの組み立てまで付き合ってくれ、レンタカーを返しに行くついでに送って行った。ここから、君枝との二人暮らしが始まる。