【essere in ballo】
思い出は何よりも美しく、時に残酷で…。
あれから何年が経っただろう。
卒業、就職、結婚。
一般の幸せを手にしていたら時間なんてあっという間に過ぎていった。
お互いに忙しくしていた所為で此れといった音沙汰も無く、そうこうしている間に俺は子宝にも恵まれ、晴れてパパとか云う奴になった。
立て続けに色んな事があった所為か何の整理も出来て無かった新居をようやく片付けようと思ったのが子供が出来てからとか、自分の不精さが伺えると云う物だ。
「アイツが居たらこんな事も無かっただろうな…」
ふと零した言葉の"アイツ"はどうしてるだろうか。
現像し損ねたカメラが虚しく足元に転がった。
虚しいくらいによく晴れた卒業式。
フィルムカメラなんてもう流行らないなんて笑いながら何時だって無愛想うなアイツに言ったっけ。
もう、出会う事も…況してや、触れ合う事もない相手。
「現像してみるかな」
未来なんて予想もしてない。
まだ幼さの残る俺たちは、一体どんな顔をして写っていたんだか。
記憶は曖昧で、多分美化されてる事だろう。
【essere in ballo】
*prologue
「――私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって……」
春。
俺はめでたく公立の高校に入学することが出来た。
受験になんて何の興味も無かった俺だけど、医者である両親に尻を叩かれてやっと勉強をし始めた。
……ものの時既に遅く、第一希望になんて端から届かなかった。
そもそも、第一希望なんてのも親の理想であって、俺の希望でもないし、俺の意思じゃない。
私立に行く位なら中卒で働こうなんて考えた時期もあったけど、なんとか世間的にも"普通"で差し障り無い学校に入学することが出来た訳だ。
その時はもう、初めて見たって位に親が喜んだのは、美化して思い出に残しておこう。
大した学校でもないのに両親が喜んだなんて話したら赤っ恥もいい所だ。
俺にだってソレ位のプライドってヤツは有る。
真新しいはずの制服も入学初日から着崩して、1週間も経たないうちから皺をつけてしまった。
今現在の授業にだって全くもって興味も無い。
名医の"倉越"の名がさぞ号泣してる事だろう。
そんな俺とは打って変わって、新入生代表の挨拶を勤め、今もこうして音読をスイスイこなすコイツはこの高校の入試を主席で通ったとかで、何の変哲も無いサラリーマンの息子。
入学当初から周りに一切溶け込まず、休み時間は常に本を読んでいるこの男。
名前はなんつったか……澤井流。
聞くだけじゃただの根暗に聞こえるけど、そうじゃない。
クラス関係なく、女子がその風貌を大いに褒めていたのは事実だ。
長い睫、鋭い切れ長の瞳、綺麗に通った鼻筋。
一切手を付けていないのが目に見て分かる漆黒の黒髪は流れる様に風に攫われ、透き通った白い肌に影を落とした。
音読を続ける声は落ち着いた低音で物語を綴っていく。
背は俺よりも……高い。
対抗とかじゃないけど、俺だって中学ではモテた方だ。
否、滅茶苦茶モテてた!
「あんな奴何がいいんだか…」
頬杖をつきながら吐いた言葉は思った以上に面白く無さそうだった。
国語教師が俺を目線で一喝したけどそんな事どうだっていい。
共通点の一切無い俺たちの唯一の共通点は席が同じ列。
しかも俺の後ろだって事。
俺のぼやきなんて気にする気配すら無く、澤井は完璧に音読を終えた。
同時に終業を告げる、俺を忌々しい授業から開放するチャイムが鳴り響く。
時計は昼休みの開始時刻を指して、俺は国語教師の背中を見送ってからポケットに仕舞われた携帯を取り出して、友人の番号を素早くタッチした。
数回のコールの後に聞こえてくる慣れ親しんだ友人に二三、言葉を告げてから教室を後にする。
チラリと横目で澤井を見たけど、相変わらず本を片手に栄養と彩りを考えて綺麗に詰められた弁当を口に運んでいた。
長い指が日焼けして古びた文庫本のページを捲る。
視線は依然として交わる事はない。
風が……、
今度は澤井の漆黒とは正反対な傷みきった俺の金髪を攫っていく。
もう既に葉桜になってしまった景色の中で、俺は出会いを感じる春に思わず笑いを零した。
作品名:【essere in ballo】 作家名:なゆ汰