レッドクリスマス
渋谷の静かな通り、今日はクリスマスイブ。
イルミネーションも、残されたクリスマスの2日間を精一杯演出してくれている。
雄二はドイツのビールを、絵津子は赤のグラスワインをオーダーする。
「乾杯!」
「何に乾杯?」
「俺たちの再会に」
雄二と絵津子は大学時代の音楽サークルの同級生。
卒業後全く会うことはなかったが、2週間ほど前、新しい取引先の営業担当ということで雄二の会社に絵津子が訪れ、劇的な再会を果たしたのだ。
「それにしてもあの時は驚いたな。俺はえっちゃんのことすぐ判ったけど」
「ごめんなさい。私は最初判らなかったわ」
「商談が終わって、俺が声かけなかったら…」
「名刺をもらった後、『もしかして雄二君?』って」
「20年ぶりだもんな。無理もないか」
雄二はその音楽サークルで指揮者を務め、絵津子はセカンドバイオリンの奏者だった。
主にバロック音楽の合奏を行っていたこともあり、今日のコンサートのプログラムもバッハとヘンデルの代表曲を集めたものだった。
「今日はコンサートに誘ってくれてありがとう。久しぶりで楽しかったわ」
「どういたしまして。鎌倉からお疲れ様。俺も楽しかった」
「それに、私の好きな曲をちゃんと覚えていてくれたのね」
「ああ、あの曲は俺も好きなんだ」
「『羊は安らかに草を食み』BWVのえーと…」
「208番。『狩のカンタータ』とも呼ばれてる、バッハにしてはのどかで牧歌的な曲だね」
「さすが我らの指揮者」
絵津子ははずした赤いマフラーをたたむとバッグの中にしまい込んだ。
「相変わらず赤いマフラーが好きなんだ」
「あら、それも良く覚えているわね」
学生時代の絵津子のイメージと言えば赤だった。
洋服からバッグ、靴にいたるまで好んで赤いものを身につけていた。
冬になれば赤の手袋に赤のマフラー。
雄二でなくともあの印象は強烈だった。
「それにしても変わってないよなあ。俺たち42歳だぜ」
「歳はどうでもいいの。雄二君こそ変わってないね」
「まあ、ちょっと腹は出てきたけどね」
雄二はおなかをさすりながら苦笑いをする。
前菜に続き、サラダが運ばれてくる頃には二人の飲み物は半分以下になっていた。
「今日はどうして私なんかを誘ってくれたの?」
「えっちゃんは俺たちのマドンナだったからな」
「それって答えになってないじゃない」
「今こうやって君のこと独り占めできて嬉しいよ」
「何それ、口説いてるつもり?」
絵津子は冷やかしながらもまんざらでもなさそうにそう応えた。
メインディッシュが運ばれ、雄二も赤ワインを、絵津子も同じものをお代わりする。
「学生のときから赤ワインだったよね」
「そうね。お金がないから安いワインばかりだったけど」
「今じゃ珍しくはないけど、あの当時赤ワインが好きなんて…」
「気取ってた、なんて言わないでよ」
「ビンゴ~」
ちょっと声が大きくなって、雄二はあわてて周りを見た。
夫婦と見られているか、恋人同士と思われているかそれは判らないが、少なくともこの雰囲気を壊したくなかったからだ。
「雄二君、彼女いるんでしょ?どんな人?」
「彼女なんていないよ」
「えー、まさか。学生時代だってもてたじゃない。何せ指揮者ですもの」
「えっちゃんは確か」
「聞かないで。×イチだけど、何か文句ある?」
絵津子が離婚しているのは事実だ。
原因は亭主の浮気だったが、子供がいなかったのは幸いだったかもしれない。
風のうわさで雄二もそれは知っていた。
「そうそう、えっちゃんの変な行動覚えているよ」
「え、何?」
「恋人が替わるたびに眼鏡も替えてたよね」
「エ~、やだー、どうしてそんなこと覚えているの?」
「俺たち男連中では有名な話だよ」
「うん、まあそれは認めるけどね」
「コンタクトして伊達眼鏡」
「そう、ほら私見かけが幼いから少しでも知的に見せたかったのね」
「今かけてるその眼鏡はいくつ目?」
「もう~。ご想像にお任せします」
サンタクロースの帽子を被った店員が3杯目の赤ワイン運んでくる。
音楽はジャズ風のアレンジのクリスマスメドレーだ。
「本当に彼女いないの?」
「いないよ、しつこいなあ。いないって言うか…」
「いないって言うか?」
「つくれないんだよ。トラウマってやつ」
「へ~、どういうこと?」
「いいじゃねーかよ、そんなこと」
「ダメ、ここまで言ったんだから全部話しちゃいなさいよ」
イブの夜にしては人通りが少ないなあ、などと思いながら、雄二は絵津子の声がだんだん遠くに聞こえるような気がした。
レストランに来てもう2時間近く経ってるというのに、とりとめのない話ばかりの自分が少々情けなく感じた。
「わかった、忘れられない人がいるんでしょう?」
絵津子は面白がって雄二を見つめた。
「あ、図星なんだ」
「…ああ」
「そうなの。どんな人?」
「…」
「教えてよ」
「つまりその…、鎌倉に住んでいるんだ。その人」
「へー、それで?」
「バッハが好きでさ」
「うん」
「赤いマフラーが似合ってさ」
「え?」
絵津子のデザートを取る手が止まった。
「ワインもいつも赤」
「ふざけてる?口説くならもう少し…」
「好きだった」
「え?」
「ずーと前から」
「…」
「今でも」
ビング・クロスビーのホワイトクリスマスがこんな風に聞こえたのは初めてだった。
雄二は緑色の紙で包装された細長い箱を取り出した。
「これ受け取ってくれるかな」
「何?」
「クリスマスプレゼント」
「ありがとう、何かしら。開けてもいい?」
絵津子はゆっくり箱を開けた。
そして、中から出てきた真っ赤な縁の伊達眼鏡に声を失った。
「その眼鏡に替えてくれる?」
絵津子は何も言えず雄二の瞳を見つめた。
(おわり)