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セクエストゥラータ

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 井上に対して密着マークを続けていたセンターバックは、疲労で足が攣って立てなくなり、交代を余儀なくされた。井上を封殺するほどのとんでもない選手だったが、ついに運動量に付いていけなくなったのだ。
 そして試合終了間際。
 俺は見た。井上の背中に燦然と輝く翼を。

「うわああぁぁぁぁ!」

 井上の絶叫に、スタジアムは静まり返る。
 俺もまた、目の前で起きた現実を受け入れたくなくて、声を発することを恐れていた。
 その後、ペナルティキックが決まり、我が母校は二十二年振りとなる高校サッカー選手権大会本選への出場を決めた。
 勝利したというのに、フィールド上の選手は勿論のこと、ベンチの選手もスタンドの選手たちでさえも、喜びの表情を見せることはなかった。
 それだけ井上がチームメイトの信頼を得ていたということだ。

 その日の夜、俺は井上の病室を訪ねた。
 搬送先を調べるのに手間取り、病院に着いたのは午後七時五十分を過ぎた頃だった。
「申し訳ない、今日サッカーの試合で怪我をした井上祐の部屋を教えて頂きたい」
 ロビーにいた看護士を捉まえて事情を説明し、井上の病室を教えてもらった俺は、エレベーターが降りてくるのを待った。
 エレベーターに乗る。
 扉が閉まる直前、制服の女子高生が滑り込むようにエレベーターに入ってきた。どこの学校かは分からないが、母校の制服ではないことだけは分かった。
「何階ですか?」 俺は訊ねた。
「えと、五一一って五階ですよね」
 この女子高生も井上の部屋に用があるらしい。
 病室には一人部屋や二人部屋、四人以上の大部屋まである。珍しい偶然だが、決して起こりえないことではない。
 五階に着くと、女子高生はエレベーターから駆け出した。
 その背中を見送った俺は、エレベーターホールに提示されている整形外科病棟の案内図を見る。
 案内図によると、井上の部屋は個室のようだった。つまりは、あの女子高生も井上に用があることになる。
 二人の邪魔をするような野暮な真似はできないと思い、俺は日を改めようと思った。

「くっ……そおぉぉおおお……」
 微かに聞こえてきた井上の叫び。
 その直後、一緒に上がってきた女子高生がホールまで駆け戻り、そのままエレベーターに飛び乗って降りていった。
 俺の見間違いでなければ、女子高生は泣いていたように思う。
 そのあと俺も病室の前まで行ったのだが、咽び泣く井上の声を耳にして、扉をノックできるほどの鉄面皮ではなかった。

 翌日、夜勤で昼間が空いていた俺は、再び井上の病室を訪ねるべく病院へと向かった。
 そこで、昨日の女子高生が看護士に花を押し付けて走り去って行くところを目撃した。
「その花、五一一ですか?」
 俺は看護士に訊ね、花を受け取って五一一号室へと向かった。
 俺が病室に着いたとき、井上は何もしていなかった。本当に何もしていなかったんだ。
 俺に気付いた井上は、その顔に笑顔を貼り付けた。その優しい微笑みを見た俺は、思わず目を背けたくなった。

 井上、知ってるか?
 お前が優しく笑えば笑うほど、見る方の心は抉られていくんだぞ。

 元気そうじゃないか、なんて言葉は、口が裂けても言えない。
 それから、リハビリ施設を紹介し、いろいろ手を尽くしてサッカーを続けるように説得をしたのだが、井上はそのままサッカーを辞めてしまった。
 俺は悔しかった。
 無謀で危険な愚かしいプレーによって、才能が一つ潰されてしまったのだから。
 俺は井上の足をへし折った相手を見つけ出した。
 そいつはタバコを吸っていた。サッカーの選手がタバコを吸う。それがどういうことか。
 井上の翼はこんな男にもがれてしまったのかと思うと、怒りを抑えられなくなった。
 未成年の喫煙は立派な犯罪だ。警察官という立場を利用して引っ張ることもできたが、俺はそれをしなかった。真剣にサッカーに打ち込んでいる他の部員を巻き込むようなことはしたくなかったからだ。
 職務質問を掛けて荷物を調べれば、当然タバコが出てくる。そのことをほのめかすと、そいつは青ざめて震え出した。
 こんなことで仇を取った気になっている自分を愚かしく思い、そいつを解放してやることにした。勿論、出てきたタバコは没収した。
 手までもが震えていたそいつは、携帯電話を取りこぼした。
 俺の足元に転がってきた電話を拾う。すると、待ち受けに使われていた写真に、見覚えのある顔が写っていた。
「この子は誰だ?」
「彼女ッス。あ、いや、別れたんスけど……」
 写っていたのは、井上の病室を訪ねようとしていたあの女の子だった。


作品名:セクエストゥラータ 作家名:村崎右近