「ハンニバル」-「漢」とは③
都市国家として隆盛したローマが、やがてイタリア半島を全体を従え、さらにイタリア本土から外に出て、世界帝国に成長していくキッカケとなったのが、当時の北アフリカに国家を建設し西地中海に覇を唱えていた、カルタゴとの戦争でした。
これをポエニ戦争と言い、3次に渡った戦争が行なわれます。
最初は、シチリアを巡っての戦いです。それまで陸上戦を専らにしてきたローマは、海の強国であるカルタゴとの間で初めて海上戦闘を行い勝利します。
これがローマが、イタリア半島の外に勢力を伸ばす大きな転換点になります。
そのおよそ30年後に、ローマを打つために、植民地であったスペインからアルプスを超えて、イタリア半島に攻め込んだのハンニバルです。これを第2次ポエニ戦争、別名、ハンニバル戦争と言います。
アルプスを超えたハンニバルは、イタリア半島を前に、率いる将卒に演説をします。
これが、また恰好いいのですが、今回は、それは置いておきます。
この辺り、塩野七生氏の「ローマ人の物語」が詳しくて読みやすいです。私も、この日記を書くのに、かなり影響を受けています。
幾つかの会戦の後、「カンネの会戦」「カンネの殲滅戦」として有名な戦いで、ローマ軍団の主力を完膚なきまでに殲滅します。
この戦いは、包囲殲滅戦の最高例として、いまだに世界中の軍隊、それも陸軍だけでなく海軍や空軍の士官学校の教科書に、必ず出て来る言われるほどに高い評価を受けており、ハンニバルの軍事的才能も、いまなお高い評価を受けています。
この後、10年以上に渡ってハンニバルはイタリア半島においてローマとの戦いを続けますが、彼が指揮した戦闘では、一度も負けはしません。しかし、ついにローマが崩壊することはなく、逆にカルタゴ本土のある北アフリカにローマ軍が上陸します。
本土防衛の為に、急遽呼び戻されたハンニバルは、ザマでスピキオ率いるローマ軍と戦い、ついに敗北します。これにより、第2次ポエニ戦争もローマの勝利となります。
戦後、カルタゴの復興に尽力し成果を上げたハンニバルですが、彼を怖れるローマによって、故国を終われ、各地を点々とし、やがて自死することになります。
この亡命時代のお話です。
ある亡命先で、そこにローマからの使者として現れたスキピオを再会します。ザマでハンニバルを破った将軍です。
この辺り、逸話ー1の韓信の話しとも似ています。
お互いの力を知る二人は、親しく話す機会を持ちます。
その中で、スキピオが史上もっとも偉大な指揮官は誰かと問いかけます。するとハンニバルは
「第1にアレクサンドロス大王、第2にピュッロス(エペイロス王)、そして第3に自分だ」と答えます。
更に、スキピオが
「もしザマの戦いであなたが私を破っていたら、どうだったろう?」と問いかけます。
ハンニバルは、即座に答えたそうです。
「アレクサンドロスを越えて、わたしが史上第一の指揮官になっていた」と。
敗れて尚の、この気概、好きですね。
男たるもの、こう言い放つ矜持を、持ち続けたいものです。
なかかな難しいことですが。
作品名:「ハンニバル」-「漢」とは③ 作家名:梵風