「韓信」-「漢」とは②
歴史上の事実の有無は別にして、その人の一面をあらわす、様々な逸話=エピソードがあります。
結構、それが好きです。
その中で、先回の日記にも繋がる、好みの逸話を紹介してみます。
まず古代中国から、韓信の逸話です。
創作広場に投稿しているエッセイにも四面楚歌と言う文章を書きましたが、これも同じ時代の話です。司馬遷の史記に中の逸話です。
韓信は、始皇帝亡き後、楚の項羽と漢の劉邦が覇権争いをした時に、その覇権の行方を決めた人物です。なにかと逸話の多い人であり、史記の中でも、私は項羽に次いで好きな人物です。
世に出る前には、「韓信の股くぐり」の逸話が有名です。
最初は、項羽の将となりますが、重く用いられないことから、逃亡し劉邦の傘下に加わります。
「国士無双」の言葉は、この当時の韓信を評した言葉です。
項羽と劉邦の戦いの末期、どちらも決定打のない膠着状態になります。
当時の韓信は、劉邦の別働隊として、斎の七十余城を落とし、実質的な第三勢力を形成しています。
彼が味方をしたほうが、天下を取る形勢です。両者からの誘いもあります。
韓信自身が、両者を倒して天下を取ることも可能です。
劉邦は、韓信を斎王に任じ、自分よりも大きな領土を与えます。
己を高く評価してくれたことに感激した韓信は、劉邦に味方します。
項羽を直接討ったのも韓信の軍です。
かくて天下を取った劉邦は、韓信を項羽の後の楚王に任じ、韓信は故郷に錦を飾ることになります。
しかし、韓信の力を怖れた劉邦の陰謀によって韓信は捕らえられ、楚の一部であり、生まれ故郷の淮陰の候と降格して、都に幽閉します。
幽閉された韓信の気持ちを和らげ慰めるために、皇帝となった劉邦が、韓信の屋敷を訪れ物語をします。その会話が、私の好きな逸話です。
二人は、戦乱の頃の、いろんな将軍の話で盛り上がります。
誰それは、どうれくらいの能力があったかの話題になります。
「〇〇は、千人の将くらいでしょう。△△なら、一万くらいの将に相応しいのでは・・」などと言い合います。
そこで劉邦は、
「ならば、ワシは、何人の兵を率いる将の力があるだろうか?」
と訊ねます。韓信は、それに対して、
「主上(劉邦)は、まあ、10万くらいの軍の将軍が務まるでしょう。」
と答えます。数十万の軍を率いて天下を取った劉邦には、甚だ失礼な物言いです。さすがに劉邦に、ムッとして、さらに訊ねます。
「ならば、お前(韓信)の能力は、どの程度なのか?」と。
韓信は、すぐさま答えます。
「多々、益々可也」と。
私(韓信)の将軍としての能力は、100万だろうと、200万だろうと指揮できるものであり、兵が多ければ多いほどますます、力を発揮すると言ったのです。
まあ、大企業に吸収された中小企業の社長が、その大企業のトップに、能力的には、僕のほうが上だよと言っているようなものです。
さすがにカチンときたのでしょう。劉邦は、さらに言いつのります。
「そんな100万の兵でも易々と指揮できる韓信が、たかだか10万の軍しか指揮できない私の捕虜になっているとは、どうしてか?」と。
韓信は、笑って答えます。
「私の将としての才は、兵に将たるのみ。主上は将に将たる器です。
さらに主上には、大きな天運がありました。とても、私どころの及ぶところではありません。」と。
まあ、アンタは運がよかっただけですよと言っているわけです。
やがて、韓信は、彼を怖れる劉邦によって、反乱を企てざるを得なくなり、事に敗れて死にます。
私は、天下を取った劉邦よりも、この韓信のほうに、ずっと憧れます。
作品名:「韓信」-「漢」とは② 作家名:梵風