朝日に落ちる箒星
20.矢部君枝
思った以上に冷え込んでいるのが分かった。ドアを開け閉めする度に、痛いような冷気が一瞬にして室内に入り込んでくる。この日のためだけに、ダウンを買っておくんだったと酷く後悔をした。
玄関の所に小さなアウトドアチェアが五つおいてある。これも至君が手配したんだろう。用意がいいなぁとつくづく思う。
焼肉でお腹を満たし「もう動きたくない」という塁は放っておいて皆、出かける支度をした。
智樹が私に向かって手招きした。私はコートとマフラーを身に着けて、あとは手袋という所で彼の元へ近寄った。
「これ、着て。そんなんじゃ凍えるから」
有無を言わせぬ強い口調で、黒色のダウンを突きつけられた。
「え、だって智樹が......」
まさか上着なしで行く訳にもいかないだろうし、どうするのだろうと思っていると、大きな旅行鞄からピーコートが出てきた。
「俺はこれでいいから。君枝はそれを着てけ」
だから随分大きな旅行鞄だったのかと合点がいった。少し折りじわのできたピーコートを羽織ってボタンを留めた彼の首元が寒そうだったので、私は首に巻いていたピンク色のマフラーを、背の高い彼に背伸びをして巻いた。一瞬、びっくりした顔をした智樹だったけれど、それがすぐに控えめな笑顔に変わって「ありがと」と言った。
私はショートコートから手袋を取り出してダウンのポケットに入れると、黒いダウンを羽織った。コートみたいに丈が長くて、温かくて、智樹の匂いがするダウンだった。
その様子を見ていた塁が「ずりーなぁ。そのダウン暖かそうだなー」と言うので、私は舌を出してやった。
一人一つずつ椅子を手に持ち、緩い坂を五分程上った所に、広場の様に開けた場所があった。そこからは空が広く見渡せた。
パタンと椅子を組んで、腰掛けた。私の両側には当然のように塁と智樹が座った。至君と拓美ちゃんはこれまた当然の如く少し離れた所に座り、至君が「どの方角でも見えると思うから、とにかく我慢強く見る事」と言った。
「あ」
塁が声を発したので「見えたの?」と訊いたら「ファンヒータ止めて来るの忘れたよな」と言うので、まずは無視する。
「流れ星見ながらお願い事すると、叶うんだっけ」
空を見上げながらそう言うと、塁が「矢部君は何をお願いするの?」とこちらに目をやる。
「塁に言ったら叶わなくなりそうだから、言わない」
そう言って笑うと、彼は口を尖らせていた。
「智樹は?」
彼もじっと空を眺めながら、そうだなぁ、と考えていた。
「流れ星がきちんと見えて、願い事が唱えられたら、暖かい場所で教えてあげる」
意味ありげな笑みをこちらに向けるので、私は首を傾げてまた空を見上げた。じっとしていられない塁は、椅子から立ち上がり「立った方が星に近いよな」と言っている。小学生の頃にこういう落ち着きのない子がいたっけなぁと思い出す。
指先の痛みに気づいて、ポケットから手袋を取り出した。ピンクの手袋と黄緑の手袋。いつも両方を持ち歩いている。今日は右に黄緑、左にピンクをはめた。それを見ていた智樹が「君枝らしいな」と言ったのでまた訳が分からなくて首を傾げる。
星が瞬く夜空に、一瞬、その部分にだけ重力が掛かったみたいに何かが落ちて行った。それは本当に一瞬で、だけどそれが流星である事は確かだった。
「見えたよね」
「見えたな」
智樹は私の手を握り、塁は「今見えたよなぁ!」と一人叫んで喜んでいる。
一度見えたら目が慣れたのか、ちらほらと星が流れていく様を観る事が出来るようになった。
昔、父親と行ったプラネタリウムで見た、天体ショーの様だった。思い出したくない思い出だけれど、それはそれで良い思い出なのだから仕方がない。
「願い事、した?」
「したよ」
握った手にぎゅっと力が込められた。寒そうに鼻を啜る音がする。そういえばダウンを借りているのだった。申し訳ない。少し椅子を近づけた。
「あ、何で手なんて握ってんだよ、片手貸せ」
塁が椅子に戻ってきて、反対側の手を握った。
幸せだな、と思った。こうして好きな二人に挟まれて、流れ星をみているなんて、世界中の誰を差し置いても私が一番幸せなんじゃないかと思い、空から目を逸らし、順繰りに二人の横顔を見た。
二人ともじっと夜空を見上げている。素敵な二人。彼らは一体何をお願いしたんだろう。
部屋に戻ると、やはりファンヒーターは付けっぱなしになっていて、だけど冷え切った身体にはありがたい暖かさだった。皆競ってファンヒーターの前を陣取った。
それからワインやらグラスやらを取り出して、乾杯をした。
至君と拓美ちゃんはきっとまた二人で呑み始めてしまうから、出来上がってしまう前に彼らの所に行って「至君、色々手配ありがとうね」とお礼を言った。部屋の向こうで、塁と智樹が二人でじゃれあっているのが聞こえる。
「あぁ、気にしないで。これでも天文学科だからさ、みんなに見せたかったんだよ、天体ショーを」
そう言ってニカっと笑った。至君の様に面倒見の良い人がいるからこそ、あの二人は手が掛かるんだなと思い、その二人を見て苦笑した。私の表情を読み取ったのか「相変わらずだな」と至君も笑っていた。