あなたになりたい
「彩花は毛先まできちんと手入れされた綺麗な髪をしていて、爪先まで綺麗だね。こういうの末端美人って言うらしいよ」
彩花の胸元まで伸びる長い黒髪をあたしは指先で弄ぶ。パーマをかけすぎて毛先がごわごわになってしまった私と正反対の、まっすぐに伸びた黒い艶髪。髪を染めて、パーマを当てるまではなぜだか嫌で嫌で仕方がなかった、ただの黒髪が今ではとても羨ましい。
「なに言ってるのよ。末端美人なんて、そんなこというの芽莉子ぐらいよ。それに芽莉子の方がイマドキって感じで、ずっとおしゃれじゃない。栗色ロングにゆるふわパーマ。爪だって、芽莉子はサロンに通ってるんでしょ?あ、ほらこのクローバーのペイントとかすごく可愛い」
彩花の指が私のスクエア型の爪先をつまみ、まじまじと笑顔で見つめる。先週サロンで施してもらったクローバーをモチーフにしたデザインのネイルは既に小指のジェルコートが剥がれかけており、小粒のビーズほどの大きさのストーンもいくつか欠けていた。そんな崩れかけのあたしの爪先を、マニキュアの塗られていない、けれど完璧に磨き上げられ手入れされた細く華奢な爪先でつまみ、彩花はあたしの爪を可愛いと言う。その表情のまた健気で可愛らしいこと。朝のメイクに30分は時間をかけ、もはや付けまつげがなければ外を歩けないという錯覚に陥りそうなあたしとは裏腹に、23にもなるというのに彩花はファンデーションも塗らず、マスカラも使わない。いつも淡いサーモンピンクのリップクリームと少しだけ高そうなコームしか持ち歩いていない。それでも彩花の肌はクリームやファンデーションを使ったあたしなんかよりずっと艶めいていて、大きな瞳の生え際から伸びるまつげも豊かでくるりと上を向いている。眉なんか、もちろん完璧に手入れされ、整っているのだ。
「あーかは女子力高いなあ、おい」
「えっ? 私が、どうして? 女子力高いのは芽莉子じゃん。いつもおしゃれでメイクも巧くて、服のセンスだって良い。芽莉子には素敵な彼氏もいるし、私は芽莉子になりたいな」
「……本気で言ってるの、それ」
「当たり前じゃん。だって、私って地味だし彼氏も出来たことないしさ……」
屈託ない笑顔で嫌みもなく私になりたいと言った彩花に私はなりたいと思った。まさに彩花のような女こそが理想の形態なのであって、あたしみたいなのはこうでもしないと生きていけない人種だから。
ふと、先日敦也に言われたことを思い出した。
「女って本当化けるよなぁ。もう慣れたけど寝起きとかビビるわ」
違う、違うの。化けているつもりはないの。ただ、生きていくために必要と思っただけ。誰もが彩花みたいに生きられる訳ではないの。 芽莉子になりたいと彩花は言ったが、私は彩花になりたい。華奢で、艶やかな黒髪、決して派手じゃないのに何もかもが手入れされていて、身体の一部ずつ、どこを切り取っても全て美しい。汚れのない、23にしては少し幼い顔立ちと上品な佇まい。何一つ私にはないものばかり。ねえ彩花。私はあなたになりたいよ。代われるものなら。
「敦也、彩花にあげよっか?」
「……あげる? 芽莉子、彼氏さんと喧嘩でもしたの?」
「ううん、違うよ。ただ、もういいかなって。彩花、さっき素敵な彼氏が欲しいとかいってたじゃん。あげるよ、敦也」
この瞬間の彩花の表情といったら。彩花は私の崩れかけの指から手を離し、そっと呟いた。
「いらない」
暗く、どこか失望したような声。
「だって、敦也さんは芽莉子のことが好きだから2年もつき合っているんでしょう。どう足掻いたって、私は芽莉子にはなれないよ」
「……彩花、敦也は私のどこが好きなんだろうね」
「全部だよ、きっと」
手のひらを暖かく包まれ、彩花はまた笑う。叫びたい、泣き出したい、そんな気持ちが込み上げて来て私は彩花の大きすぎる瞳を見れなかった。どこまでも、どこまでも美しい彩花。
「ねえ、あたし、彩花が好きだよ」
「なあに、浮気? やっぱり敦也さんと喧嘩でもした?」
「してないよ。でも、私は敦也より彩花がずっとずっと好き。彩花になりたい」
「きゃ、告白だ。うれしいな。私も芽莉子が好き。芽莉子が男だったら絶対好きになってたな。それに私も芽莉子になりたい! 」
朗らかに笑う彩花。あのね、違うの。彩花は冗談だとか、お世辞だとか、友情だと思っているのかもしれないけれど、違うの。
あたしは彩花になりたいし、彩花が好き。敦也なんかよりずっとずっと。好きなの。あなたを取り込んでそのままあたしが彩花になってしまいたい。
「ねえ、あたしが男でなくても好きでいてくれる? 」
彩花の大きな瞳を見つめて、言葉を絞り出すと、困ったように彼女は笑った。
「もちろん」
嘘か本当かわからない、その返答でさえもあたしにはとても綺麗で美しいものに見えた。
ねえ、彩花。生まれ変わったらあなたになって、綺麗で清潔な人生を送りたいな。もし彩花になれないのなら、私はあなたの恋人になりたい。少しでもあなたに近づきたい。ねえ彩花、愛してる。だからあたしは、友達をやめない。彩花になるにはもうこの方法しか残っていないから。
「どう足掻いたって、私は芽莉子にはなれないよ」
彩花の言葉が脳裏にこびりついて離れない。
−fin−