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 私達は難聴だった。出会ったのは近所のスーパーで、お互いレジ打ちのバイトだった。見た目は別に大したアレではなかったし、難聴と言っても聞こえない訳ではないので全然分からず、最初は視界に映る男の人の一人に過ぎなかったけれど、用事があって話しかけた時に怪訝とも取れる表情で「えっ?」と言われて、自分が不意に何か言われた時に取ってしまう仕草と同じだったから「もしかして難聴者ですか」と、つい訊いてしまった。
 それに対し彼は素直に「はい」と答えたので、「私もなんです」と少し意気揚々と返してしまった。客が来てしまった事もあり「はあ」と気の抜けた返事を受けて私は自分の持ち場へ戻った。完全に無意識で手を動かしながら自分の非礼を恥じた。

 次の日、また彼に用事が出来てしまって、気まずくて嫌だと思いながらも、でも昨日の事を一言でいいから謝ろうと彼の元へ向かった。
 健聴者に話しかけるのと同じ距離、同じ声量で「すいません」と彼に声をかけた。
 すると彼は「あんだって?」と声は普通だけど顔は志村っぽく曲げて振り返った。
 私は爆笑し、恋に落ちた。

 彼は補聴器を使えば車を運転出来たから、二人で出掛けるようになった。最初に出かけたのは地元の有名な紅葉の名所だった。
 お互いに大きな声で、たくさん話した。
 好きな食べ物や、嫌いな人のタイプ。
 難聴にまつわる不便な事柄については、あるあるを超えて「同志よ」と握手を求めた程だった。

 それから程なく彼はバイトを辞め、苦労してやっと就職した。休みは合わなくてもどうにか都合をつけて週に一度は会うようにした。
 初めて彼の部屋に行った時、私の方から彼を求めた。
 何せ、「あんだって?」って返す人だ。驚く程の恥ずかしがりで可愛くて愛おしいから、そんな時位は私の方から行かないといけないと思った。
 結局始まってしまったら自分の初めて出す声に、暗闇で赤面する事となったけれど。

 交際を始めて1年経っても2年経っても、私達の関係は良好だった。
 喧嘩も、ご飯を食べながら冷静になれば終息するような、そんな感じだった。
 彼には言わなかったけれど、結婚したいと強く願っていた。

 しかし3年と少しが経過して、変化が起こった。
 以前は私の方が聞こえにくかったのに、いつの間にか私の方が救急車の音に先に気付く様になった。
 部屋のチャイムにも気付くし、彼とテレビを見ると音が大きいと思う様になった。
 私の耳は少しずつ、聴力を取り戻していった。
 付き合い始めて4年が経つ頃には彼との差は歴然としていた。

 私は、どこか健聴者を馬鹿にして見ていた。
 私達にしか分からない世界だと思っていた。
 聞こえたくないものは聞こえない、聞きたいものだけ聞ける能力のような気がしていた。
 私は、かつて馬鹿にしていた世界に立たされていた。

 段々、彼と音の事で揉める様になっていった。
 テレビは勿論、普段の話す声もうるさいと思った。どうせ聞こえないと思って独り言で陰口を叩いたら彼が怪訝そうな顔でこっちを見た。本当に嫌になって反射的に私は部屋を飛び出して、自分の家に帰ってしまった。

 きっと、彼は私の聴力を疎ましく思っているだろうと思った。
 だから、私は彼に聴力の事をなじられたら何て言い返そうかあれこれ毎日考えた。

 でも、それから彼と音の事で喧嘩になる事は無かった。
 私が一方的にうるさいと怒鳴ったりするだけで。
 よく考えたら、彼の方から音の事で喧嘩を吹っ掛けて来た事なんて一度も無かった。
 私だけ、彼に対して苛立っていた。

 彼は以前と何も変わっていなかった。
 私だけ、少しずつ変わっていた。
 私だけ、少しずつ失っていた。

 凄く勝手な事だと分かっていたけれど、別れる事にした。
 彼と生活する事で、私が私を失っていくのに嫌でも気付かされるから。
 耳が聞こえにくい事が私達の特権だったから。
 耳が聞こえにくかったから、私達はこうなれたのだから。

 彼に別れを告げても、彼は理由を訊かなかった。
 理由は分かっていたかもしれないし、そうでなくても予感はあったんだと思う。
 別れ際に、彼に「じゃあね」と言っても彼はこちらを見ずに歩いて行ってしまった。
 多分、私の声は彼に届かなかった。届かないように言ったから。

 私の耳はそれからも少しずつ良くなって、彼と別れて約1年後には健聴者と診断された。
 診断が出た時、無性に彼に会いたくなった。
 彼が今、どんな生活をして、どんな顔をしているのか見てみたくなった。
 思い切ってメールをしたら、とんとん拍子で週末に出かける事になった。初めて一緒に出かけた、紅葉の名所に。

 約一年ぶりに会う彼は、やはり何も変わっていなかった。何かが変わっていて欲しかったとは言わないけれど、嬉しくて悲しい、複雑な気持ちになった。
 晴れていて、もみじの赤に空の青が純粋に綺麗だった。二人とも自然な、優しい表情になれた。そんな表情で会えると思っていなかった。
 初めて二人で出掛けた時に、散々馬鹿にしたもみじの天ぷら(「落ち葉喰ってるwww何で揚げてまでして喰うのwww泥でも喰ってろwwwww」と罵りまくった)を買った。甘くて意外な味だった。悔しいけどちょっと美味しかった。

 彼の車から降りて自分の家に戻る時、お互いに微笑んで小さく手を振った。
 彼が車を出して、角の交差点を曲がって見えなくなってから、ありがとう、と誰にも聞こえない様に、小さい声で呟いた。

 自分の部屋に戻って座り込んだ時、自分の耳を両手で塞いだ。
 それでも、色んな音が聞こえた。
 そのまま横になった。
 涙が出た。
 やっぱり、色んな音が聞こえた。
作品名:3 作家名:竹包奥歯