鏡の中の少年
――それは、僕だよ――
「よかった、じゃあ、あたしじゃないのね」
私は、毎朝鏡に話しかける。鏡の中には少年がいて、私の問いにちゃんと答えてくれた。ひとりぼっちの私は、鏡の少年の言葉をきくと安心して、学校に通うことができるのだ。
私は、いじめられっこというわけじゃあない。友達がいないわけでも、ない。クラスではごく普通の、目立つこともなく、忘れ去られることもなく、ただありふれた生徒を演じ続けている。だけど、ちょっとだけ変わったコだと思われているみたいだ。
ミニスカートが大好きだ。とくに小さなバラの模様のやつ。お化粧も、好き。もちろん学校にはお化粧なんてしていかない。だけど、夕方、ママが夕食を作っている間に、ママのメイク道具を一式テーブルの上に並べて、お人形さんのようなメイクをして楽しむのだ。
ママは、私を叱りはしない。
「ほんとに、変わったコね」と、たまに困ったような笑いを投げるけれど。
ママ、コンシーラーはね、うすーく塗るといいんだよ、あとね、ファンデーションも場所によって濃さを調節するの。チークは目じりのほうからね、ピンクがいいかな。あと睫。これ、重要。じっくり時間をかけてくるんって巻くんだよ、マスカラは軽めにね、つけすぎるとけばくなるから。
真剣にママに説明するのだが、ママはただ困ったように、ふうっとため息をつくだけだった。
ある朝、ママが言った。
「ほら、寒くなってきたから長ズボンはいていきなさい。そんなミニスカートじゃあ、風邪ひくわよ」
私は必死で拒んだ。お気に入りのバラのスカート。寒くてもいい、足が冷えてもいい、それじゃなきゃ、学校になんて行きたくなかった。これまで何度も、ママと言い合いになった。朝、学校に行く前のけんかは、一日中気分を害してしまってつらかった。その日もまた惨めな気分で、それでもなんとかお気に入りのスカートに身体をつっこんで、学校に行くことに成功した。
どっちにしたって、来年からは中学の制服を着なくてはならないのだ。今くらいは、今くらいは。
「好きな服、着せてよ」
「そんな我がまま言わないの」
「我がままじゃあない、来年はちゃんと制服着るよ」
「どうして今はだめなの。どうしてズボンじゃあ、ダメなの」
「だっていやなんだもん。はずかしいよ、そんなズボン」
通学途中も、朝のママとのやり取りが耳について離れなかった。
「おはよう」
「おはよう」
クラスメートが声をかけてくれる。でも皆横に並んで歩いてはくれない。ただ、私の横を早足で通り過ぎていくだけだ。近所のオバサンが私のことを冷めた目で見るのに、気付いた。いや、いつだって気付いていた。そんなに私、我がまま? そんなに変?
いじめられるわけでもない、叱られるわけでもない。友達がいないわけでもない。ただ皆、どこかよそよそしい。小学校時代ずっと孤独だった。いつもひとりぼっちだった。ちょっとだけ寂しかった。だけど朝起きて、まず最初に鏡に話しかける。
すると鏡の中には私よりずっと孤独な少年がいて、その少年の言葉を聞くとちょっとだけ慰めされるのだった。
了