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 その椅子を見初めた理由は分からないし、どうでもいいのだが、とにかくその椅子を買って来た。
 はっきり言えばハリーベルトイアの模倣というか、要はワイヤーチェアなのだが、こういった椅子は錆びにくい材質で出来ているか、或いは防錆加工してある筈がどういう訳かうっすら錆びている。
 椅子が欲しいなんて考えてもなかったので完全な散財で、またそんな余裕なんてどこにもないのに買わないという選択肢は無かった。そんな事をする性格でもないのに。

 錆びた椅子は屋外が似合う。それは棄てられた物から漂う腐臭の様なオーラをそいつが出しているんだから仕方がない。そう思ってアパートの入口に面した路地に出しておいた。勿論自分の所有物であるので窓から見える所に置いておいたのだが、もし誰かがゴミだと勘違いして持って行ってしまってもそれでよかった。
 不満は錆びがまだうっすらとしか出ていない事だった。しかし雨ざらしなら少し経てば勝手に錆びだらけになると思い、またその成長ぶりも楽しみだった。

 私はものの変化に疎い。女友達の髪はちょっと切った位では全く気付けないし、自殺した同僚の様子だって「昨日まで元気だったのに」とか真顔で言ってしまう。最新技術なんかに至っては嫌悪感すら覚える。
 そんな自覚や自負があるのに成長を楽しむなんて出来る筈もないのだが、いらない椅子を買う事の異常さの中にそれも含めてしまえば十分価値のある事に思えた。本当はそんな事は後付けで、考えたくもないけれど。

 しかしその椅子は一向に、それ以上錆びなかった。錆びだと思っていたものは錆びでは無かったのか、と強く指で擦ったらやはり指に茶色い、鉄臭いものが付着した。
 有名な脱獄囚が房の扉の格子に味噌汁をかけ続けて錆びさせ、格子を破壊し(一体どれだけボロボロにしたというのか。笑い話でしかない)見事に脱獄した話を思い出し、いっそこいつに毎日放尿しようかと考えたが、それではもう何が何だか分からない。本末転倒も甚だしいのでここは堪えて再度放置する事にした。

 筋肉の収縮や思考等、生体の活動は猛烈に複雑な化学反応を経て行われる。たとえそれが、夕方のNHK教育を見る為に家路を急ぐだとか、使用済みナプキンに着いた自分の経血の臭いを嗅ぐだとか、ATMで10万円下ろすつもりが100万円下ろしてしまった、とかの内容だとしても。

 ある日の夕方、アパートへ帰宅した時に突然話しかけられた。ちんまりとした、まだ二十歳そこそこに見える、結構可愛い女の子だった。
「あの椅子、あなたのものですよね?」
と言われ、職質すらされた事のない私はかなり動揺した。
 続けて彼女は、
「あの椅子、譲って下さいませんか?」
と澄んだ瞳をもって私に問いかけてくるものだから、
「どうぞ」
とこちらも出来る限り澄んだ瞳を演出してあの椅子を譲った。

 てっきり彼女は椅子を彼女の家なり何処かへ持っていくものと思いきや、いきなりその椅子に座った。そして手にしていたコンビニ袋からペットボトルのマテ茶を出し、極少量飲んではしまうをランダムに繰り返した。
 10分程その光景に付き合っていたが(なんとなく時折頷いておいた)結局飽きてきて、彼女はそのままにして自分の部屋に帰った。とっぷり夜になってから窓から覗いてもまだ彼女は座っていた。朝には流石にいなくなっていたけれど、椅子はそのままに。

 それから彼女の姿は見ていない。しかし時々彼女は椅子に座っている。何か確証がある訳ではないが、そう思いたいからそういう事にしている。
 椅子は彼女に譲ったものだ。私の手許にあるけれど、あれは私のものではない。
 椅子の錆び方が若干変わった気がした。錆びが増した様な、分布が変わった様な。私は変化に疎いから分からないけど、そう思いたいからそういう事にした。
作品名:2 作家名:竹包奥歯