独白
うまく行かないものだな、と思いながら酒を飲んだ。
あとちょっとだったんだ。あとちょっとで、めでたく卒業だったんだ。何をかは言わせんなよ。童貞だよ馬鹿野郎。
こんなおれでも彼女ができて、もしかしたら今日いけるかもと思ったんだ。ちょっといい空気になって、ホテルに誘えるんじゃないかと思って、そっと抱き寄せようとしたら、彼女、くしゃみをしたんだ。
「ごめんなさい。もしかして、猫とか飼ってるの?」
その時ばかりは上京したてで寂しかった過去の自分を恨んだ。
……そして、缶ビールの蓋を開けた。
余談だが、おれは酒に強くない。
わたしはひじょうに腹が立ちました。今思えばそれは、どうして放っておいたのよというさみしさからくるものだったのでしょう。今となってはどうしようもありませんね。わたしが悪いのです。なんでよ、なんでよ……とかなんとか、延々と言っていた気がします。
できる限り時系列通りにお話ししたいのですが、どうすればいいでしょう。思いつくままにお話ししましょうか。
あの人が最近構ってくれなくなりました。昔はたくさん撫でてくれたのですよ。かわいいねと、何度も言ってくれたのですよ。なんだか今も、頬のあたりに吐息を感じているように思うのですが、錯覚でしょうか。幻想でしょうね。
そしてですね、最近はもう、ふふふ、すっかりというやつですよ。余所に女でもできたんでしょうかね。嘆かわしい。……ああいえ、相手の方……どちらの方とも知れぬような女、恨む筋合もございますまい。わたしが彼を繋ぎとめられなかった……ああ、だから腹立たしいのでしょうね。
ええとそれで、ああ、そうそう。
彼、帰ってきた時、見知らぬ匂いをつけていたんです。人工の匂いです。加工された匂いです。いい香りですが美しくありません。彼がそれを好むなら、わたしにはどうしようもありません。ああ、ええと、それにわたしは何やらむっとしてしまい、彼を問いただしたんです。ちょっと、強く怒り過ぎてしまったでしょうか。彼は明らかに苛々していましたね。相手の方とうまくいかなかったのかしら? うふふ。それから彼、身に着けていた服を洗濯機に放り込んだんです。それだけかと思ったんですけれど、クローゼットの中の服も全部全部、洗濯機にポイですよ。いきなりどうしたんでしょう、なんて思っていたら突然突き飛ばされました。お前のせいだ、お前のせいだ――そればっかりですよ。わたし、段々腹が立ってきました。
神様にお願いしたんです。手をください、って。
そしたらわたし、いつの間にやらあら不思議、ひとのかたちを与えられていたのです。指先って愛しくって。
カタンとテーブルの上の何かが倒れました。筆立てか何かでしょうね。ひとり暮らしの男の家に、装飾品なんてありはしませんもの。彼、びっくりしていました。当然ですね。今直ぐ絞め殺してやるなんて思っていたんですけどね、どうしようもなく愛しいんです。どうしようもありません。鎖骨の辺りから耳の裏まで首筋をなぞって舐めてやりますと、彼、笑ったんです。ああ、お前、ディアナか。卑怯ですよ。卑怯ですよ、あなたを殺すためにひとになって、それでもわかってくれるんです。そりゃあね、彼は命の危機だから気付いただけでしょうけれど……。その舌、くすぐってえ、ってか、いてえよ。なんて言ってね。ああわたし、彼のことが好きだなあって。でもそれって、単にご飯をくれるからだったのかもしれませんね。今となってはわかりません。でも、好きでした。それから彼、詫びたんです。ユリコ、猫アレルギーなんだ。お前の毛のせいで、くしゃみしちゃってさ、それでタイミングのがしちゃってさ。むしゃくしゃしていたんだ。ごめんな。とかなんとか……。卑怯な男。謝るなんて。そりゃあわたしより、彼女とのまぐわいの方が大事でしょうけれど。でも突き飛ばすのってやりすぎでなくて?
「卑怯な男」
そういえば彼、どんなところが卑怯なのかわかって死んだのかしら。今となってはどうしようもないわね。せっかくひとになったのに、しゃべった言葉はあれだけなのね。もったいない気もするわ。愛してるとか言えばよかったのかしら。
わたしはそっとまぶたに唇をのせました。本当にのせただけですよ。ほんの一瞬触れただけです。それからくっと指に力を入れました。当然指は彼の首に巻き付いていますよ。垂れた涎で指が濡れました。汚かったです。
――わたしの話、聞いてますか?
「猫がミーミーうるせえな」
「被害者には恋人がいたそうですよ」
「ほお、そうか」